ショートコラム ねだ
− J−バイブル −
パソコンを使わないひとには、役に立たないが、パソコンを使ってキリスト教に関わる原稿を書いたりする人には、こ
のJ−バイブルはおすすめである。
私も使い出してから長くなったが、もっとも利用するのは、語句検索機能である。あるみことばが聖書のどこに出てく
るのか知りたい時、その力を発揮する。
かつては、コンコルダンスと言う方が一般的になってしまったもの、つまり「聖書語句索引」を使っていた。私は大辞典
のような大物も買い込んだが、結局それはあまり使わず、小型の辞書版くらいのものをいつも使った。
大学で聖書研究会に参加したことがあったが、やがて教会の中でも聖書研究会を担当させていただくようになり、み
ことばを調べることは必須のことになった。
私の聖書の読み方に、大きな影響を及ぼしたと自分でも思っている本がある。それは、R.A.トーレイの「聖書の教
え」である。それは、「聖書にはこう書いてあります」というスタンスに徹している。それも、聖書のひとつのことばを抜き
出して考察するのではなく、同じみことばを全部並べて見て考察するのである。私もそれに倣って、何かのテーマを取り
上げるとき、それに関連して書かれている聖書の箇所をできる限り全部調べ上げてから、結論をだすことにしていた。
そのために、コンコルダンスだけでなく、1回の聖書研究の発表のために、もちろんぱらぱらっとページをめくるので
はあるが、聖書のほとんど全体をめくるようなこともあった。
1例を紹介するが、同労者のホームページを開くと、コラム別リンクという欄があって、そこから同労者に掲載した聖
書研究の欄に入れる。その中に1987年9月30日に・・30年前ですね・・教会の聖書研究会で、「飲酒に関する聖書
の教え」というテーマで発表させていただいたものが載っている。
私はその発表のために、飲酒に関わることが聖書にどのように書かれているか調べるために、前述のように聖書の
多くの部分をめくった。
そこから私が感じたことは、以前の飲酒に反対した人々の視点には、酒の害悪・・ノアが酒を飲んで醜態を晒したよう
な事例に示されること、世の多くの犯罪や、不義姦淫といった忌まわしいできごとに酒がからんでいることなど・・が論点
の中心であるものが多いようであるが、聖書全体としては、そこには重点が置かれていないということであった。
私が聖書から読み取った結論の要は、「祭司は酒を飲んで主の前にでてはいけない」という点であった。聖霊がおいで
になってから、私たちはみな聖霊を宿す神の家であり、神に仕える祭司となった。それ故絶えず神の前にでるので、酒
が入ってはいけないものとなったのである。
聖霊がおいでになる以前には、酒を避けるようにというすすめはまったくといっていいほどなかった。
箴言の中に「マサの王レムエルが母から受けた戒めのことば」という記述があって、そのなかに「レムエルよ。酒を飲む
ことは王のすることではない。・・・」とすすめている。その理由はやはり酒の害悪であって、王であるにもかかわらず、
酒を飲むと政治を誤るからという点である。
エレミヤ記にレカブの子ヨナダブの子孫が、ヨナダブが酒を飲むなと命じたことを守り続けていた記事がある。神がそ
れをほめておられるのだが、それは「先祖のいいつけを守り続けている」点であって、酒以外のことでもよかったのであ
る。
「飲酒に関する聖書の教え」を皆さんも読んでくださると嬉しい。・・30年経っても風化しませんよ。聖書が風化しない
限り。
ただここでは、聖書をこのように調べたという事例として引用したものである。
はじめに戻って、J−バイブル、聖書のことばを探すのに、「楽ですよ。」「短時間でできますよ。」そうすれば考察に多
くの時間を割くことができますよ。