巻頭言
− 教会と共に−
茂永 和子
「ただ、あなたは、ひたすら慎み、用心深くありなさい。あなたが自分の目で見たことを忘れず、一生の間、それらがあ
なたの心から離れることのないようにしなさい。あなたはそれらを、あなたの子どもや孫たちに知らせなさい。」(申命
記 4:9)
新しく歩み出した年も早3か月が過ぎ、どんどんと時の経つ速さを感じながら過ごしています。
この3月、教会では新しいクリスチャンホームが誕生し、その大いなる祝福を共に喜ばせて頂いていることを感謝して
います。
また、昨年4月に私たちの教会から東京の神学校に入学をし、学びと訓練の中にある山本守兄のお証と報告を伺うこ
とができました。課題に対する真摯な取り組みと成果、神様との豊かな交わりを通して大きく成長している姿に感動を
覚えたことでありました。
職場においては、同じ事務所で仕事をしていたご高齢の方が1か月ほど前に自宅で転倒し、腰を圧迫骨折しました。
今も入院中ですが、その方に具合はいかがですか?と尋ねたところ「薄皮を剥ぐように良くなっています」という答えが
返ってきました。回復には時間がかかることを思いましたが、以前に教会のコンサートや集会などにもお誘いし、来てく
ださった方なので引き続き祈りながら声をかけて行きたいと思っています。
薄皮を剥ぐようにという言葉を聞いた時、何年か前に教会のある兄弟が私たちの信仰は薄紙を一枚一枚重ねるよう
なもので、長い年月をかけながらそこに映し出されるものを見ることができると語られていたことを思い出しました。
私がお嫁に来た時にはまだ小さかった子供たちが、今では確かなイエスキリストの救いを受け、勇敢に戦っている姿
を見ることができます。
その背後には、神を信じ、その魂の生まれた時から多くの時間をかけ育んできたご両親や、共に歩んでくださる教会
の先生方との関わりや取り組み、その人格を取り囲む多くの方々の祈りによって、そのところに至っていることを見せ
られることであります。
この年アブラハムの生涯を通して礼拝メッセージが語られていますが、神の干渉と検証ということが語られていまし
た。神は干渉し、共に歩んでくださる方であり、また、きちんと検証される方であるということ。自らの歩みは多くの不足
を覚えることでありますけれども、週ごとに語られるメッセージと共に、愛する者の救いと信仰の継承を願いながら取り
組み続けていきたいと思います。
(仙台聖泉キリスト教会会員)