ショートコラム ねだ

              − 器と中身 −


 「なんでも鑑定団」というテレビ番組が人気である。世の中骨董好きがこんなにもいたのかと思わされる。ついには日 本の番組をまねて、アメリカ版も登場している。アメリカの会社が日本の制作会社から買い取ったのであろう。
鑑定団の鑑定にいちゃもんをつける人々も現れて、陶磁器に関する鑑定結果の真贋を某大学の先生が鑑定したが、 鑑定結果、疑われる釉薬は存在しなかったとかいうことが話題になった。
 それは前置きで、今回は器と中身・・中味とも書くがそれは当て字だとか・・についての考察である。
 器、それは集会出席、聖書を読む、祈りの時を持つ、・・・といった教会、信仰の活動への参加である。
鑑定団の鑑定品は器自体を飾るのであって、中身は考えないが、キリスト教の器は中身がなければ何の意味もない。
 中身のない器とは、集会に出たのに神にお会いしなかった、聖書を読んだけれども神に示されるものがなかった、祈 ったけれども神に受け入れられなかった、というようなものである。
器じゃなくて中身が大切だという。
中身は神のもの、人間がジタバタしても中身は作り出せない。しかしこの器は人間の努力にかかっている。


 神は、時には器とは関係なく中身の恵みを下さるが、通常は、神は器に中身のごちそうを入れて下さる。
 努力して器を備えない人は、神の恵みにめったに与らないのである。









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