論説

        − イエスの死と復活  −

「この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」」(マタイ 4:17)



 今年の教会暦では、4月9日(日)がシュロの聖日で、そこから受難週、14日(金)が受難日、16日(日)がイースター です。例年のように、主の死の復活について考え、より深くその贖いと復活の力に与りたいと思います。
 冒頭のみことばの「この時」は、イエスがヨハネから洗礼を受け、荒野にいって悪魔の試みにあい、それを退け、ガリ ラヤに戻りましたがご自分の町ナザレを去ってカペナウムに行った・・その時です。
 イエスの宣教の最初のことばが「悔い改めなさい。」でした。
誰が悔い改めるでしょうか。それはもちろん自分の犯した罪を自覚した人です。
 私たちは自分の罪を自覚すると、罪を悔い改め十字架の贖いを信じることができます。そのことについて、教会の中 に育ち、神を知り、イエスが救い主であって、十字架の贖いがあることを知っている私たちはなんと幸いでしょう!と思う のです。
不信者の世界に育った人は、罪を自覚してもそれが神に対するものであることを知りません。十字架の救いが備えら れていることも知りません。信仰の道もしりません。
パウロはこう表現します。「そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約に ついては他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。」(エペソ 2:
12) 教会の外の人を救いたいと願うとき、スタートはそこからです。イエスの十字架が空しくならないように、私たちは働 かなければなりません。
 私たちが自分の罪を自覚している以上の自覚を隣人に与えることは困難でしょう。ですから、いよいよ深く自分の罪 を悟らせていただかなければならないでしょう。そして自分が頂いている恵み以上のものを隣人に与えることは困難で しょう。ですから自分自身がいよいよ豊かに恵みをいただかなければなりません。なんとしてもこの人を救いたい、そう いう取り組みをしようではありませんか。
 パウロはさらにこう言います。
「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、 どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。」(ピリピ 3:10-11)
キリストの「復活の力」とはなんでしょうか。それを探らせていただきたいものです。また、こう書かれています。「もしキリ ストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるので す。」(コリントI 15:17)
聖書から読み取ることのできる復活についていくつかの事柄をあげてみますと、
復活はイエスのキリストであることの証明である、
復活はイエスの贖いが完成されたことの保証である、
復活は私たちもイエスと同様に復活できることの保証である、
イエスご自身が復活によって、私たちの最初の復活者となられた。
 それでイエスの復活の様をしらべると、私たちの復活の様を知ることができます。
イエスは「霊」だけでなく「体」があると宣言されました。
「彼らは驚き恐れて、霊を見ているのだと思った。すると、イエスは言われた。「なぜ取り乱しているのですか。どうして 心に疑いを起こすのですか。 わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさ い。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。」」(ルカ 24:37-39)
 さらにイエスは、復活されてから「食べる」ことをされました。
「それでも、彼らは、うれしさのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があります か」と言われた。 それで、焼いた魚を一切れ差し上げると、イエスは、彼らの前で、それを取って召し上がった。」(ルカ 24:41-43)
復活の後、つまり天国では私たちは天使と同じ状態になるのであるから、食べる必要がない体を持つのであろうと推測 されますが、天国でも食べるということがあるということが示されています。
 天使と同じ状態ということは、イエスがサドカイ人たちの質問に答えたことばにあります。
「復活の時には、人はめとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。」(マタイ 22:30)

「もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じよう になるからです。」(ローマ 6:5)
「もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる。(ローマ 6:8)

 もうこれ以上語ることができませんが、「復活」は罪からの解放と結びついていることが示されています。

 イースターです。私たちはイエスと共に死に、イエスと共に生きるものであらさせて頂こうではありませんか。





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