巻頭言         − 人生の海のあらしに−


                  


                       山田 行

「波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた。」
(詩篇107:30)




 春の暖かい日差しの中、教会の隣にありますサテライトルーム「ノア」で伝道コンサートが開かれました。小さな幼稚園の子供から83歳の老牧師まで、 様々の年代の方々が共に讃美をし証しがなされました。沢山の方々が足を止めてその讃美と光景を見てくださり、感謝でした。今回のコンサートは、老 牧師が曲と歌い手とを選び、プログラムを組んで行われました。選ばれた讃美歌の一つに「人生の海のあらしに」がありました。その讃美の順番になる と、牧師の生涯が孫である若い姉妹によって語られました。幼い時に母親を亡くし戦争や病、貧困、牧師になってからの様々な戦いなど、どれをとっても すさまじい人生の海の嵐に揉まれて生きて来たものでした。しかし、神はどんな中にあっても見捨てず愛し導いて下さった、人生の嵐の中を離れてしま わないように見失わないように手を離さずに握りしめて歩んで下さったことを思いました。家族を愛し教会を愛し、年老いた今も出会う人ごとに「教会の 集会に来ませんか」と声をかけ続けている姿があります。神との契約を最後の最後まで全うする覚悟と、イエス・キリストの十字架の血潮が自分の罪の ために流され、その代価によって贖っていただいた、その恵みに応える生涯を今も選び続けています。
 
 そしてもう一人、このコンサートで老牧師と一緒に讃美をして下さった兄弟がいます。兄弟が、教会の隣にあるご自分の会社の一階を献げて下さった ことにより、サテライトルームとしてこのようなコンサートやCS等の教会の働きにいつでも用いさせていただけるようになりました。兄弟は70歳を越えた 今も若々しく、この日もお孫さん達とともに讃美をしておられました。その生涯は、ご家族とともに福音のために教会と牧師を支えて下さったものでした。 きっと同じように人生の海の激しい嵐の中を歩んで来られたのだと思います。そして今、冒頭の御言葉のように波も凪いで来て、喜びの中、その望む港 に導かれてゆっくりと歩んでおられることと思います。
 教会の中には同じように信仰者として先を歩む方々が多くおられ、教会を守り続け、次の世代へと信仰と福音を継承して下さいました。

 4月に一人の若い姉妹が救いの恵みに与かりました。神の尊い導きの御手に感謝致します。この姉妹のおばあさんは、昨年病に倒れ、あと何ヶ月生 きられるか、という状態でした。未信者の方でしたが、ご家族がおばあさんを天国へ導きたいという強い願いを持ち、その献身的な姿に応えて、教会も 一丸となって祈らせていただきました。神は私たちの祈りに応えて下さり、とうとうおばあさんは洗礼を受け、安らかに天国へ召されていきました。その一 連の出来事を通し、神は、ご自身がどれほど人を愛しておられ、最善をなしてくださるかを見させて下さいました。そしてこの時、きっと神は若い姉妹の 心に迫ってくださったのだと思います。

 長老たちが揺るがされることなく歩む姿を私たちが見たように、今度は、私たちが人生の海の嵐の中をどのような姿勢で歩んで行くのかを、子供たち が見ていることを思わされます。もう一度襟を正し、その手を決して信仰の錨から離さず、共に戦う神の戦士として、祈りつつ歩を重ねたく願います。
 この一度しかない人生を、悔いの無いように、神の証人として十字架を誇り、胸を張って歩んで行きたいと思います。
(仙台聖泉キリスト教会会員)



戻る
戻る