聖書研究                  結実の考察(第41回)

野澤 睦雄

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、 あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るため・・です。」(ヨハネ 15:16)

「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。」(ヨハネ 15:8)
< あとがき >

 本文の学びは全部終わりましたが、あとがきも皆さんに読んでいただきたいと思いますので掲載しておきます。

 引用している山本光明先生の文章を熟考されることを期待します。

・・・・・

 著者序にも述べましたように、本書は私が仙台聖泉キリスト教会における聖書研究会において発表させていただい た研究発表の予稿を整理したものです。ここに取り上げた思想のほとんどは、仙台聖泉キリスト教会山本光明牧師が 説教に取り上げたものです。もちろん、わたくしがそれをにれはんで消化し、私の信仰の血となり肉となり骨となった思 想であって、私自身の信仰を表明したものですが、同時に山本光明牧師の信仰であると私は信じています。

 最後に、山本先生が聖泉連合の機関紙「聖泉」に載せられた一文をご紹介し、本書の結びと致します。

 「私の教会観…その夢」(聖泉連合機関紙「聖泉」1973年6月号から)

 …その入信から生涯の最後まで、神のみ言に捕らえられた歩みを続ける人々による教会。

 (私の夢は)一つの町に教会堂が建てられ、伝道活動がなされて、人々が教会に導かれます。そして教会は十年、二 十年と存在し歴史を重ねますが、その教会を通して一人の人が若い時に救われ、青年期を過ごし就職し家庭を持ち、 幾人かの子供達が与えられ、これを育て養いながら信仰の使命を果たして、信仰の証詞としての証拠を置いて生涯を 閉じる人、その年令に応じ、或いはその生涯の過程、過程に、確かな神の言を通しての務めを果たす人々、そう云う 人々が幾人も、幾家族も与えられることです。

 人の生涯は罪の生涯です。その足跡をたどって見る時に人生の苦難を通して外からの試練にうちのめされ、或いは 自らの性格のとりことなって、神の言から離れ、助ける人もなく罪の奴隷になって苦しめられます。ある人はそれで教会 から去っていってしまうでしょう。教会は尚存在しますが、キリストによって贖われたその人は暗黒の中にその姿を消し 忘れ去られてしまいます。教会には人が入れかわりたちかわり入って来ますが、又しても居なくなり、時には賑やかに 恵まれていると思える現れをいたしますが、神の言に捕えられた神の言の証人(となるべきはずであったその人)は教 会に居りません。キリストの愛を受ける人はおります。しかし、神の言の訓練には身を引く人があります。聖霊による神 の言の証人を現代の教会は必要とします。

 キリスト教を否定する人はいない、しかし一人の信徒を見る時に人はこれを否定しようとします。

 これは私共が教会生活をするときに絶えず聞かされる言です。勿論そういう人もキリスト教が一体何をしようとしてい るかの知識なしに自己流に事を捕らえているのであるかもしれませんが、いちいち反発する必要もありません。

 (私の夢は)神の教会の一枝として良き果を結びよき種子を残す処にまで信仰の生活を積極的に認識して身をあて はめるために自己を訓練に渡す人々が与えられる事です。

 人はどうしても自己の中に閉じこもり易いものです。学校に入ったから信仰生活もほどほどにしなければならない、結 婚したから、子どもの養育のためにもっと時間をとらなければならない、隣近所の付き合いの為に、…勿論これらを無 視することではありません。信仰生活とのバランスは大切ですが、これらは神の教会、キリストを首とした教会の一枝と なるものを妨げるものです。これは聖霊によって与えられた新生命の発達と目指すままに生活してゆくのでなくして、生 活のバランスの上に教会を建ててゆこうとする人の陥る考えです。聖霊は私共を死の淵へ落とす方ではありません。 私共を義の道に、神の栄光の道に導き給う方です。

 先生の夢に当てはまるようなものでありたいと願って、信仰生活を歩みました。振り返るなら、願っても出来なかった ことが多く、足らないこと反省させられる事が数多く目について、もしも、自分ができたことだけを書くとしたならば、内容 を大幅に削減しなければならないのですが、次の世代の方々に早くその必要を悟って頂くために、あえて書かせて頂い た次第です。

 私自身に与えられた内なる恵みについては、既に三十三年の長きに渡って、キリストの平和が心の支配者となり、聖 霊は私のうちにいてくださり、私と共に歩んで下さったことをお証しいたします。

 私に信仰の良き師を与えて下さった神に感謝します。-1999年9月20日 

本書の発行準備をしている中、2003年2月26日に、妻、靖乃が天に召されました。妻が私と共に歩んでくれたからこ そ本書を書くことができました。私の助け手を忠実に果たしてくれた妻と彼女を私に備えてくださった神に深く感謝いた します。-2003年5月30日 

(完)


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