論説

        − 神に近づく (23)  −

「わたしに近づく者によって、わたしは自分の聖を現し、すべての民の前でわたしは自分の栄光を現す。」(レビ記 10:3)



 神に近づく人に神が恵みをくださることを考えてきました。
 引用してきましたように、神に近づいて恵みをいただいた人の例には事欠きません。盲人であったテマイの子バルテ マイはイエスが通りかかったただ一度のチャンスをものにしました。
取税人ザーカイも噂に聞いていたイエスという人に近づいたことがなかったことは、<どんな人か見たかった>ことから 明らかです。はじめてのイエスとの出会いでしたが、彼の場合は、イエスが積極的に彼に会われたのでした。そして、彼 は<自分の家庭全体に>救いを得ることができました。
十字架上でイエスと一緒に処刑された強盗もそうで、ただ一度の、いのちの尽きる直前に遭遇したイエスに近づく機会 によって、彼は天国を獲得しました。
 神に近づかない人の得る恵みは、「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも 雨を降らせてくださるからです。」(マタイ 5:45)とイエスが言われたようなものにとどまるでしょう。もし私たちが神の豊かな 恵みに与りたいなら、積極的に神に近づく必要があります。

 今回は、その神に近づいて失敗したひとびとについて考えましょう。
神はご自分に近づく人々を通して、ご自分の「聖」を表されます。
冒頭に掲げたみことばの直前に書かれている内容は、
「さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに 命じなかった異なった火を主の前にささげた。
すると、主の前から火が出て、彼らを焼き尽くし、彼らは主の前で死んだ。」(レビ記 10:1-2) です。
この二人の行動は、動機とかどうしてそういうことをしたのか分かりません。突拍子もないといった感じです。しかし、後 に続くみことばは、
「会見の天幕に入って行くときには、あなたがたが死なないように、あなたも、あなたとともにいるあなたの子らも、ぶど う酒や強い酒を飲んではならない。これはあなたがたが代々守るべき永遠のおきてである。 それはまた、あなたがた が、聖なるものと俗なるもの、また、汚れたものときよいものを区別するため、また、主がモーセを通してイスラエル人 に告げられたすべてのおきてを、あなたがたが彼らに教えるためである。」(レビ記 10:9-11)
であって、ナダフとアビフは酒に酔った勢いで、普段なら決してしない突拍子もないことをやってしまった。それが祭壇の 火でない別の火を持って、神に近づいた。結果、いのちを落としたのだと読み取れます。
「酒を飲んで神に近づいてはならない」ということを神は「永遠のおきて」であると定められました。ですから、これは「潔 い動物と汚れた動物の区分をして、潔い動物だけ食べなさい」と言うような決まりとは違って、新約の時代になっても、 異邦人についても変わらないのです。酒を飲むと「聖なるものと俗なるもの、潔いものと汚れたものの区別がつかなくな るから」とその理由が書かれています。食物に関する規定は、「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければなら ない」ということを教えるための規定であって、新約の時代にはもうその役目が終わったことを神が認められたのです。
「ペテロは・・・
コルネリオとことばをかわしながら家に入り、多くの人が集まっているのを見て、
 彼らにこう言った。「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間に入ったり、訪問したりするのは、律法にかなわないこ とです。ところが、神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならないことを示してくださ いました。・・・」・・・」(使途の働き 10:9-28)

 神に喜ばれない近づき方をして、その動機がはっきりしていているひとびともいます。

「レビの子ケハテの子であるイツハルの子コラは、ルベンの子孫であるエリアブの子ダタンとアビラム、およびペレテの 子オンと共謀して、
 会衆の上に立つ人たちで、会合で選び出された名のある者たち二百五十人のイスラエル人とともに、モーセに立ち向 かった。・・・
・・・
彼らはおのおの、その火皿を取り、それに火を入れて、その上に香を盛った。そしてモーセとアロンはいっしょに会見の 天幕の入口に立った。
・・・
彼らとすべて彼らに属する者は、生きながら、よみに下り、地は彼らを包んでしまい、彼らは集会の中から滅び去った。
 このとき、彼らの回りにいたイスラエル人はみな、彼らの叫び声を聞いて逃げた。「地が私たちをも、のみこんでしまう かもしれない」と思ったからである。
また、主のところから火が出て、香をささげていた二百五十人を焼き尽くした。
・・・」(民数記 16章)

 この人たちは、神が立てた人に逆らう意図で、自分たちも神の前に同等であることを示そうとしたのでした。

 神に近づく人にとっては、「神を畏れる」ことが最も重要なことです。神を畏れるひとはこのような失敗をしません。


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