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           「しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されま した。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による義であって、それはすべての信じる人に与 えられ、何の差別もありません。」(ローマ3:21〜22) はじめに、前回の学びを要約します。 
          「救いの教理」の解説の最初の部分である「人間の罪について」学びました。これは言い直せ
           
          ば、「何故福音が人間に必要であるのか」ということです。パゼット・ウィルクスによるローマ書 講演のこの箇所の分解は、私たちがその内容を理解する上において大変参考になりますの で、ここに前回の学びの補遺として記載しておきます。 
          <補遺>…パゼット・ウィルクスの分解、「ローマ書講演」から
           
          
          (1)異邦人の罪(ローマ1:18〜32)
           
          
          ・罪の原因は、人の神に対する態度の狂いである。つまり、
           
          
           @不義をもって真理をはばむ(1:18)
           
          
           A神を崇めずまた感謝しない(1:21)
           
          
           B神の栄光を変える(1:23)
           
          
           C神の真理を偽りととりかえる(1:25)
           
          
           D心中に神を認めることを好まない(1:28)
           
          
           E神の決定されていることを知りながら罪を行う。(1:32)
           
          
          ・罪の結果は
           
          
           @"義、罪"についてこれを推し量ることができない(1:18〜20)
           
          
           A思考が狂う(1:21〜22)
           
          
           B心が汚れる(1:23〜24)
           
          
           C身体を汚す(1:25〜27)
           
          
           D思念(マインド)堕落の結果、様々の罪を犯す(1:28〜31)
           
          
           E自ら自分の罪に定める(1:32〜2:1)
           
          
          (2)ユダヤ人の罪(ローマ2:1〜3:8)
           
          
           <イ>ユダヤ人の責任(2:1〜16)
           
          
          ・神の審判は
           
          
           @真理に合致する(2:2) 
           
          
           A確実である(2:3)
           
          
           B憐れみに適合する(2:4)
           
          
           C怒りの日に行われる(2:5)
           
          
           D各人の行いに応じる(2:6)
           
          
           E善行には報償(2:7)
           
          
           F悪人Aは刑罰(2:8)
           
          
           G律法を有するユダヤ人には律法により、異邦人には異邦人の心の律法により(2:1〜15) 
           
          H福音に示された通りに(2:16) 
           Iイエス・キリストによって行われる(2:16)
           
          
          ・ユダヤ人の有様は
           
          
           @人を審く(2:1)
           
          
           A審きを免れえると思っている(2:3)
           
          
           B神の寛容と慈しみとを軽蔑する(2:4)
           
          
           C頑なで悔い改めない(2:5)
           
          
           D不従順で神に従わない(2:8)
           
          
           E積極的に悪を行う(2:9)
           
          
           <ロ>ユダヤ人の有罪(2:17〜29)
           
          
             …罪の特権について有罪
           
          
           @選民であることについて有罪(2:17〜、28、29)
           
          
           A律法を有することについて有罪(2:17〜、23、24)
           
          
           B割礼を受けていることについて有罪(2:18〜、25、27、29)
           
          
           C道徳上の"師"たる地位について有罪(2:19〜、21、22)
           
          
           <ハ>ユダヤ人に関する疑義(3:1〜8)
           
          
           @ユダヤ人の長所は何か(3:1)
           
          
           A割礼の益は何か(3:1)
           
          
           B彼らの不信のため神の真実が損なわれるか(3:3〜4)
           
          
           C彼らの不義が神の真実を顕わすのであるなら、これを責めることは不義なのか(3:5〜6)
           
          
           D彼らの偽りによって、神の真理が顕わされるのであるなら、どうしてこれが審かれるのか
           
          
            (3:7〜8)
           
          
           Eそもそもユダヤ人はすぐれているのか(3:9)
           
          
          (3)結論…ユダヤ人も異邦人も皆罪人である(ローマ3:9〜19)
           
          
           @人は性質上で皆罪人である(3:10〜12)
           
          
           A人は言葉の上で皆罪人である(3:13〜14)
           
          
           B人は行為の上で皆罪人である(3:15〜18)
           
          
           神は実に長い時間をかけて人間に"人間の罪"を示されました。旧約聖書全体が罪の教示で
           
          あると言っても過言でありません。 
          「私は罪を犯しました。」と認め、罪の告白をすることが救いの門口です。多くの人は、「ええ、も
           
          ちろん私は罪人ですよ。」とは言っても、「私は罪を犯しました。」とは言いません。「私は弱い者 です。どうか助けて下さい。」とは言っても、「私は罪を犯しました。」とは言いません。 
           新約の基準に置き換えられた律法が、『それは罪です。』と指摘することを行ってしまったと
           
          き、「私は罪を犯しました。」と、"イエス・キリストが遣わした人の前で"告白することが、神に義 とされる道です。 
           なぜ律法が必要なのでしょうか。それは人間が自分の罪を悟り、頭を下げてイエス・キリスト
           
          の贖いに与る以外に救われる道がないことを悟るためです。 
           これがパウロの言う"ユダヤ人のすぐれたところ…かれらは神の言葉を委ねられています。"
           
          と言っている点です。 
          2.2信仰によって義とされることについて
           
          
           私たちは「救われました。」といって証詞しますが、このイエス・キリストによって"救われる"と
           
          いうことが、信仰による義が与えられることなのです。その内容をパウロは、ローマ人への手 紙3章21節から5章21節までかけて解説しています。大別すると、その部分は以下の4区分 で構成されています。 
          ・信仰による義…その定義「イエス・キリストの贖いによる義」(3:21〜26)
           
          
          ・信仰による義…それを受ける道は「信仰」(3:27〜4:25)
           
          
          ・信仰による義…それを受けた者の神との関係は「愛」(5:1〜11)
           
          
          ・信仰による義…それを受けた者に与えられる新しい「命」(5:12〜21)
           
          
           2.2.1信仰による義…その定義「イエス・キリストの贖いによる義」(3:21〜26)
           
          
           パウロはここで以下のような内容を示しています。
           
          
          ・律法とは別の神の義であること(3:21)
           
          
          ・律法と預言者(旧約聖書全体)によってあかしされた神の義であること(3:21)
           
          
          ・イエス・キリストを信じる信仰によって、信じるすべての人に与えられること(3:22)
           
          
          ・神の恵みによって、価なしに(つまり代金を払うことなく)与えられること(3:24)
           
          
          ・神が忍耐をもって見逃して来られた人間に、「イエスの血というなだめの供え物」を示して、
           
          「神ご自身の義」を示すものであること(3:23〜26) 
           2.2.2信仰による義…それを受ける道は「信仰」(3:27〜4:25)
           
          
           信仰による義を受ける道は信仰であることを、パウロは以下の例を用いて説明しています。
           
          
          @行いの原理と信仰の原理の比較
           
          
          ・義とされるのは信仰の原理による(3:27〜28)
           
          
          ・割礼のある者もない者も、全て信仰によって義とされる(3:29〜30)
           
          
          A信仰の原理は律法を無効(廃絶)するものか
           
          
          ・信仰の原理はかえって律法を確立する(3:31)
           
          
          Bその例証(1)…アブラハムの例:行いの原理ではなく信仰の原理の例証
           
          
          ・働きの無い者に与えられるからこれは「報酬」ではなく「恵み」である(4:1〜5)
           
          
          Cその例証(2)…ダビデの例
           
          
          ・行いとは別の道で神に義とされる(4:6〜8)
           
          
          D割礼のあるものにだけ与えられるのか
           
          
           …割礼という儀式の有無でなく信仰のみ によって与えられるということの立証
           
          
          ・アブラハムはまだ割礼を受けないうちに その義を得た(4:9〜15)
           
          
          E世界の相続人アブラハム…信仰の手本
           
          
          ・アブラハムの信じ方にならって、イエス を死者の中からよみがえったと信じるすべての者
           
          に、アブラハムと等しい「義」が与えられる(4:16〜25) 
           そのアブラハムの信じ方は以下の内容です。
           
          
           ――自分の絶望的な状態の認知
           
          
           (子を産むことに対してはもう死んだ体である。)
           
          
           ――神の約束実現への信仰
           
          
           (神は死んだ体を復活させる力があると信じた。)
           
          
           2.2.3信仰による義…それを受けた者の神との関係は「愛」(5:1〜11)
           
          
           パウロは、信仰による義を受けた者と神の間を以下のように解説します。
           
          
          ・神との平和を持つ(5:1)
           
          
          ・神の栄光を望む(5:2)
           
          
          ・艱難を喜ぶ(5:3)
           
          
           その理由は、神が艱難を与えたもうのは、私たちの内に練られた品性を生み出すことであっ
           
          て、それが希望につながっているからです。 
          ・聖霊によって神の愛が私たちの内に注が れる(5:5)
           
          
          ・私たちに神の愛が示されている(5:6〜9)それは、私たちが罪人であった時に、イエス・キリスト
           
          が私たちのために死なれたことによって示されています。 
          ・御子の死によって神と和解させられた私たちは、御子の命によって救いに与る(5:10)
           
          
          ・神を大いに喜ぶ(5:11)
           
          
           2.2.4信仰による義…それを受けた者に与えられる新しい「命」(5:12〜21)
           
          
           信仰による義を受けた者には、同時に新しい命が与えられることが示されています。
           
          
          ・アダムひとりから、すべての人間に死がもたらされたが、イエス・キリストひとりによって、すべ
           
          ての人間に「新生の命」がもたらされた(5:12〜19) 
          ・律法は罪を明らかにするだけの役割しか果たさず、かえって罪を増し加えるものとなったが、
           
          恵みはそれを越えて満ちあふれた(5:20〜21) 
           以上から、「救われる」とは教理上、以下の2つの重要な事項を含んでいることが判明
           
          しました。 
             1.義認     2.新生
           
          
           神はイエス・キリストの十字架によって、人にそれを示しておられます。人は信仰によっての
           
          み、それに与ることができます。救いに与かった人は、神と愛の関係にはいります。 
          <今回の学びの結び>
           
          
           十字架に、神は罪が必ず罰せられなければならないことを示され、そこに神の義が顕わされ
           
          ています。イエス・キリストが私たちの罪の身代わりとして十字架上で死なれ、それによって神 はご自身の私たちへの愛を示されています。 
           頭を下げて、「私は罪を犯しました。」と十字架のもとに行く者を、神は救って下さるのです。
           
          「私は罪を犯した。」と知っている兄弟姉妹、それに対する悔改めは、「事務的に」行わ れなければなりません。罪の実感がないから、涙が沸かないからと留まってはなりませ ん。それは、神が遣わされた人の前で実行されさえすればよいのです。罪の告白に当た って大切なことは、「私は罪人です。」と言うのではなく、「私は、いつ、どこで、だれに対 して、どのような罪を、なぜ、どのように…行ったか」を述べることです。 
           それを実行すると、不思議なように神は、「私のためにイエス・キリストが血を流され
           
          た。」と信じることを許されます。イエスが私の罪のために死なれたことを「経験」によって 知ることは、神の愛を知り、神を愛する者となる道です。 
           その時、私たちは「新生の命」と「神との平和」を持ち、「キリストの平和」を心の内に持つもの
           
          となるでしょう。そこにキリスト者の幸せがあります。  |