「同労者」第4号(2000年1月)
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−インターネットのホームページに次のような一文が載せられていましたので、その一部をご
紹介します。− もし私が次のような質問をし、聖霊に満たされた方はご返事下さいと尋ねることが許されたな ら、極めてわずかの人のみしか答えないであろうと思います。このことは、私たちはエペソ人へ の手紙5章18節において、「御霊に満たされなさい。」と命令されているにも関わらずにです。 神は私たちに聖霊に満たされているように命じられました。そして、もしも私たちが聖霊に満た されていないならば、その結果として私たちは、私たちに与えられている特権以下の生活をし ていることになります。このことが、現今のキリスト教界に多大の困難をもたらしていると思いま す。私たちは神が私たちを生かしておられる場以外には生きることができません。ヨハネの福 音書20章22節はこのみことばです。「そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われ た。『聖霊を受けなさい。』」今やこれらの人々には、既に聖霊が彼らのうちに住んでおられる のです。彼らはもはや決して漁にも小舟にも留まりませんでした。そして、三年のあいだ恥と悩 み忍ばれたキリストに従いました。もしも聖霊なる神が彼らのうちに働いて下さらなかったなら それは不可能でした。しかも復活の後ほとんど最初に主がなされたことは、弟子たちに現れて 彼らに息を吹きかけこう言われたことです。「聖霊を受けなさい。」しかもその後で再び彼は、私 たちがルカ24:49から分かるように、こう言われました。「さあ。わたしはわたしの父のあなた がたに約束されたものを送ります。あなた方は、いと高き所から力を着せられるまでは、エル サレムを離れないでいなさい。」もしこれらの人々(主の弟子たち)が力を着せられる必要があ ったのなら、私たちがそれなしに役に立つものでありうるとあなたは思われますか?私たちの ほとんどすべてが多くの困難を抱えているのは、私たちがその力なしに神のために働いている からです。私たちは神の息子、また娘であって――そのことは疑う余地は有りません。私たち は「天にあるマンションに、私たちの(それが私たちの所有であることを示す)表札をはっきりと 読みとることができる」にもかかわらず、力なしに神の息子、娘であろうとしているのです。それ が問題です。 (以下次号) |