「同労者」第4号(2000年1月)             論説に進む   目次に戻る

巻頭言
− 時 を 知 る 者 − 
盛岡聖泉キリスト教会   吉田 浅

 ハレルヤ。すべての栄光と力を受けるべき方からの祝福と平安がみなさんおひとりおひとり
にあるように祈っています。
 聖書に信仰者は時を知っている人間であると記されています。「あなたがたは、今がどのよう
な時か知っているのですから、このように行いなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻が
もう来ています。というのは私たちが信じたころよりも、今は救いが近づいているからです。夜
はふけて昼が近づきました。ですから、私たちはやみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けよ
うではありませんか。」(ローマ13:11〜12)
 信仰者はこの世の警醒者です。眠っている者は夜であることを知りません。この時代は終末
が近づき、夜明け前の最も暗い時のようです。その中で光り輝く者として生きる使命が信じる
者にはあります。そこに信仰者と教会の苦闘があります。教会を建て上げる時、私たちにはし
ばしば失敗に思えるような出来事があります。昔、エルサレムから3キロメートルほど離れたと
ころにベタニヤという町があり、そこにマルタ、マリヤという二人の姉妹とラザロが住んでいまし
た。彼らはイエス様をとても愛していました。イエス様も彼らのことをこよなく愛していました。と
ころがラザロが病気になってしまったのです。しかもそれはとても重い病気でした。そこですぐ
にマルタとマリヤはイエス様の所へ使いを送りました。イエス様はすぐに来て下さらず、とうとう
ラザロは死んでしまいました。マルタもマリヤも回りにいたユダヤ人たちも泣きました。しかし、
イエス様は、「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光を受けるためです。」と語
られ、ラザロをよみがえらせました。主の御心はラザロのいやしではなく、復活にあったので
す。
 米国のロバート・シュラー牧師は、失敗者への教訓として次のように語っています。「失敗は、
あなたがたが失敗者であることを意味しない。それが意味しているのは、あなたがまだ成功し
ていなかったということである。失敗は、あなたが何も成し遂げなかったことを意味しない。それ
が意味しているのは、あなたが何かを学んだということである。失敗は、あなたが愚か者であっ
たことを意味しない。それが意味しているのは、あなたは大きな信念をもっていたということで
ある。失敗は、あなたが恥をかいたことを意味しない。それが意味しているのは、あなたが進
んで試みたことである。」
 もしあなたが、「かって祈っていたけれど答えられなかった。もう時は過ぎてしまった。」そう思
ってあきらめていることがあるなら、もう一度、主に目を向けて下さい。ラザロに対していやしで
なく、復活を用意されていた主が、あなたにも復活の奇跡を見せて下さるからです。
 



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