同労者

キリスト教—信徒の志す—

論説

— 一つの幻を持とう —

「その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。」
(ゼカリヤ13:1)

「幻亡き民は亡ぶ。」(箴言29:18文語訳)私たちは通常西暦何年といいますが、その略号にAD何年と表記します。このADは、'我らの主の御降誕から'という意味です。本年はAD2000年、我らの主の御降誕から約2000年が経過し、ついに20世紀最後の年となりました。この世紀末に当たって、私たちは何をしなければならないか、考えさせられることは当然です。
 聖泉連合は発足後、30年、一つ一つの教会を見るとき、それぞれが工夫をこらし、群を育て、伝道し、教会を建て上げる努力がなされていることに間違いなく、その働きに敬意を覚えます。しかし、教会毎に差はあるでしょうが、群全体を概観すると各教会の教勢や伝道活動その他の働きの結果には、必ずしも喜んでばかりいられない状況でしょう。各々の教会単独では、構成する教会員の年齢層の偏りや、全体数の不足があり、お互いの交わりさえも不足する、といった事態であろうかと思われます。そのような事態の打開策として、幅広く教会間の交わりを持とうという趣旨で、信徒会(仮称)の結成が進められている次第です。
 私どもは、名称はどのようなものになるにせよ、信徒が力を結集し、お互いの研鑽をすることを期待して、信徒会を結成運営しようとしています。その場合に早速突き当たる問題は、参画するお互いが同一の幻を有しているか、ということです。そうでないと、議論のみ多くなり、建設につながらないことが予測されます。
 幻を一つにするためにはどうすればよいか、その過程を考えるとき、使命と課題という二方面を考える必要があります。
 まず必要なことは、連合全体が神から与えられた使命を把握することです。連合創設の使命は、未だ死にも無くなりもしていません。神は私たちに新しい教会である、聖泉連合を造らせなさいました。神は何の目的もなくそのようにはなさいません。つまり、群を建てるからにはその群に、神ご自身が期待される使命をお与えになることです。神はこの聖泉連合に何を使命として委ねられたのですか? その使命からはずれると、幻亡き民となります。
 使命は課題をもたらします。課題は各教会ごとに異なっています。しかし、お互いの現実を紹介しあい、ともにその抱えている課題に取り組んだよい事例を知ること、どなたかが自分の悩みと類似の事態の中を、信仰をもって歩まれたという事実を知ることは大いに参考になり、助けになり、私たちの気力を上げさせるものです。そして、それが私たちの信仰の課題に対する、より良き方策の示唆を与えるものです。
 私たちは、冒頭に掲げた聖言をよく考え、神からの使命の把握と、お互いの課題の共有によって、幻を一つにさせて頂こうではありませんか。