「同労者」第7号(2000年4月)   読者の広場に進む  目次に戻る  信仰良書に戻る

証 詞

仙台聖泉キリスト教会  石井 和幸


「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる
特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもな
く、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1:12〜13)


 私は、祖父母・両親がクリスチャン、という一家の長男として生まれました。私の名前の由来
…「柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。」(マタイ5:5)それは父と、神様との
約束であると私は信じています。
 しかし、小学生の頃の私は弱々しく運動も、勉強も人なみ以下の成績でした。それにもかか
わらず、語り口だけは、「哲学者」と呼ばれるほど大人びていて、おまけに、自己中心なので、
人づきあいがうまくいか ず、結局いつも学校では、いじめられる対象になっていました。家に帰
れば、妹にやつあたりして、親の言うことは聞きませんでした。宿題はやらない、学校の掃除は
サボる。ああ、僕も誰々君のように、人並に、自己統制できる人になりたい…そう思いつつもま
た人の言うことを聞かず、人の悪口を平気でいい、すべきことをしない。そんな毎日でした。中
学生になっても、結局学校でいじめられました。それでも、「人は人、自分は自分」という姿勢を
私は崩しませんでした。しかし、中学2年の時のある日、同じクラスの一人に、「石井、おまえ本
当におかしいぞ」と言われたのです。それは、ひやかしでも、皮肉でもない、そのころの私への
正直な忠告でした。
 この日を境に、私は、自分を変えるために、自分を見つめ直すようになりました。しかし自分
のことを考えれば考えるほど、直すべきところがありすぎる自分の汚れた姿がうきぼりになり、
私は自己嫌悪に陥りました。「今日は良い一日で、自分も良い子だった」と振りかえってぐっす
り眠る日なんてありませんでした。思うようにならない自分に涙する日がほとんどでした。
 中学3年になろうとしていた春、JSFセミナーに私は、例年のごとく参加しました。セミナーで
は、「ディナーパーティー」なるものが企画され、私も仙台教会代表のバンドのメンバーとして、
ドラムを演奏しました。明くる日の分科会で、担当の鈴木兄から、こんな質問がされました。…
「もし自分の両親が、信仰を捨て、教会から離れたとしても、教会に通いつづける自信のある
人は手をあげてください」…この質問に対して、手をあげるための裏づけがないことにきづきま
した。自分は何をしに教会に行くのか?賛美歌をもっと大きな声でうたいましょう、となぜ言わ
れなくてはならないのか?自分と神様との関係って何?…そういった事柄を私が考えるきっか
けになりました。
 その年(1988年)の9月25日、礼拝後、家に戻っていた私に、父が一声…「嘉納君が、今
晩の伝道会のバンドで、和幸にドラムをやってほしいそうだ」(私)「いや、でも明日から期末試
験だから、お断りしておいてくれないか」…それで実際、懸命に勉強したわけではありません。
けれども、その夜の伝道会の特別音楽の時間、自分が出るはずだったバンドで、司会をした
山本嘉納先生(当時はまだ牧師になられていませんが)が、最後にいった一言「このバンドのメ
ンバー5人は、主に従います」…この言葉に私は心が動かされました。
"…今の私は、主に従う、と宣言できるだろうか。自分が嫌いで、ままならなくて、神様との関係
も中途半端…。"当時の仙台教会では、20歳前後で救いの恵みを受けた方が多く、私も20歳く
らいまでは、教会に居さえすればいい、と、思っていました。
 しかし、その時の私は、もうこれ以上中途半端であってはならない。決断を迫られていまし
た。(私)「父さん、聞きたいことがある」家にもどり、私は父の部屋を訪ねました。(私)「神様は
本当にいるの?」(父)「ああ、本当にいるよ」…もう寝床についていた父と、私との問答は、暗
闇の
中続きました。そして最後に私が質問…「もし僕が神様を信じて救われたとしても、りっぱな信
仰を保ちつづける自信なんかない」父の答え…「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく病人
と聖書にある。だから、救われるためには、自分の罪を認めて、イエス様の十字架が自分の
罪のためであることを信じればいい。けれども人間は、なかなか自分の罪を認めることができ
ないんだ。」私の決断は、一人ではなく神様と共に歩む道でした。私はすぐ、家の隣の教会に
行きました。時計はもう夜10時をまわっていました。
 山本光明先生のもとで、神様の前に罪の悔改めをし、救いの恵みをいただきました。そし
て、家族の前でお詫びをし、私の罪の重荷は取り除かれたのです。
 数ヶ月後、私は曲を作りました。ああ神様いつも私と共にいて守ってほしい前はあなたがとて
も遠くにいるように感じてたけど私のそばで語ってくれる私とともに歩んでくれる」
 今私は、亀山鉄工所という会社に勤め、4年目を迎えようとしています。「ただ、神によって生
まれた」私は、時に勝手に神様を遠ざけたりしてしまいますが、「神様によって生きるしかない
です。」と私が告白するときに、神様は私の歩みに介入してくださり、愛をもって私を包みこんで
くださいます。父の信仰をどのように受け継ぎ、伝えていくかが私の課題ですが、なお神様のご
訓練の中に励まさせていただきたく思っております。
 



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