「同労者」第7号(2000年4月)             論説に進む   目次に戻る

巻頭言
− み 名 に よ っ て 生 き よ − 
盛岡聖泉キリスト教会 吉田 浅

 かつて使徒ペテロは、足なえの男に対してこう宣言しました。「ペテロは、ヨハネとともに、そ
の男を見つめて、『私たちを見なさい。』と言った。男は何かもらえると思って、ふたりに目を注
いだ。すると、ペテロは、『金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエ
ス・キリストの名によって、あるきなさい。』と言って、彼の右手を取って立たせた。するとたちま
ち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩き出した。…」(使徒3:4〜8)
 これについて中世の教会でひとつのエピソードがあります。
 ある寺院の中で金銀で豪華に飾られた祭壇の前で数人の神学者たちが語りあっていまし
た。当時、本来の力を失ってしまった寺院での神学者の研究課題は、針の先に天使が何人い
るかなどというものでした。そのような集まりの中で、ある者が「かつてペテロは『金銀は私には
ない。』と言ったが、今我々は金銀を持っている。」と語ったところ、一人の敬虔な神学者が立
ってこう言ったそうです。「確かに、金銀を持つようになった。だが、イエス・キリストの名によっ
て歩きなさい。というメッセージを失ってしまったではないか。」
 まさにこの言葉は、人々の良心を呼びさます言葉でした。
 この時代は、キリストの再臨がいよいよ近づいていると言われています。今日求められてい
るのは、「キリストのみ名によって生きよ。」と力強く宣言できる大胆な人物の生き方なのではな
いでしょうか。
 クリスチャンにとって福音の宣教は、人生最大の事業です。あらゆる地上の職業、事業はす
べてこの究極の目的に仕えるときに真に意義のあるものとなるのです。人は何のために生ま
れ、育ち、学び、働き、そして死んでいくのでしょうか。また、その人にとっての最大の遺産とは
何でしょうか。それは、キリストの福音が全世界に伝えられるために、その生涯においてどれ
だけの人々の魂の父となり、また母となったかでありましょう。
 私たちは「キリストのみ名によって生きよ。」と力強く宣言する「同労者」として共に歩んでいき
ましょう。




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