「同労者」第7号(2000年4月)   Q&Aルームへ進む  目次に戻る  巻頭言に戻る

論  説

 ― 主の復活の意味を把握せよ ―
「兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝え
たもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。…もしキリストが
よみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪
の中にいるのです。もし、私たちがこの世にあって、キリストに単なる希望を置いているだけな
ら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂
として死者の中からよみがえられました。」(コリントT15:1〜20)
 「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリス
トの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。」(ピリピ3:10〜
11)
 「こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるもの
を求めなさい。そこにキリストが神の右に座を占めておられます。」(コロサイ3:1)
 今年は4月23日がイースターです。
 皆さんはイエスの受難の意味は、ご自分の罪の赦しの基い、購いの業としてよく理解しておら
れることでしょう。しかし、主の復活の意味を考えておられますか。
 上に掲げた聖言は、パウロが復活の意味あいについて述べているところのほんの一部に過
ぎませんが、彼がどんなに復活を大切なことと考えていたかが分かります。
 復活は贖罪の保証です。復活は私たちの復活の保証です。私たちはやがてキリストの復活
と同じ姿になるのです。
 パウロは「キリストとその復活の力を知り…」、と言いますが、私たちは復活の力をどれだけ
知り、どれだけそれに与かっているでしょうか。
 パウロはまた、「苦しみにあずかることも知り」と言います。私たちの大方は、神が私たちに
恵みを下さることのみを期待しています。そして、神が私たちに苦しみを与えなさったら、「自分
の生まれた日を呪って」(ヨブ3:1)しまいかねません。まして、もしもその苦しみが、誰か他の人が
原因であり、自分は善を行っていて苦しむ(ペテロT2:20)とき耐えられないのではないでしょう
か。
 復活の節季にあたり、私たちはもう一度献身の壇を築きなおして、「キリストの苦しみの欠け
たところを満たす」(コロサイ1:24)ことのできるものに変えて頂きたいものです。
 パウロは続けます。「キリストとともによみがえらされたのなら上にあるものを求めなさい。」私
たちの願望が地上の富ではなく、天に属するものでありますように。
 イースターに相応しいものは、この復活の信仰ではありませんか。


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