「同労者」第8号(2000年5月)
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ムは…そこに祭壇を築いた。」(創世記12:6〜7) 「主はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現れた。」(創世記18:1) 日本聖書協会訳では、これらの樫の木の部分は「テレビンの木」と訳されています。 大槻虎男氏の解説によると、ユダヤ人の史家ヨセフスは、アブラハムの樫の木は創世記の時 代にはテレビンの木であったが、その木は紀元330年に枯死し、その跡に樫の木が植えられ た、としているそうです。 「彼らは手にしていたすべての異国の神々…を…ヤコブに渡した。ヤコブはそれらをシェケム の近くにある樫の木下に隠し(文語訳は埋め)た。」(創世記35:4) 「リベカのうばデボラは…ベテルの下手にある樫の木の下に葬られた。」(創世記35:8) 「アブシャロムは騾馬に乗っていたが、騾馬が大きな樫の木茂った枝の下を通ったとき、アブ シャロムの頭が樫の木に引っ掛かり、彼は宙づりになった。」(サムエルU18:9) 「…サウルのなきがら…を…ヤベシュにある樫の木の下に葬り」(歴代誌10:12) 「テレビンの木や樫の木が切り倒されるときのように。」(イザヤ6:13) 「ぶどう酒と新しいぶどう酒は思慮を失なわせる。わたしの民は木に伺いを立て、…これは姦 淫の霊が彼らを迷わせ、彼らは自分たちの神を見捨てて姦淫したからだ。彼らは山々の頂で いけにえをささげ、丘の上、また、樫の木、ポプラ、テレビンの木の下で香をたく。」(ホセア4:11〜 13) テレビン油というものがありますが、大槻虎男氏の解説では、それは米国産の松からとるので あって、パレスチナに自生するテレビンの木からはとれないそうです。 いずれにしても、聖書に出てくる樫の木とテレビンの木は、本当はどちらであったのか分から ないものがあるようです。 |