「同労者」第9号(2000年6月)   読者の広場に進む   目次に戻る   Q&Aルームに戻る

信仰良書

− 神 へ の 道  (3) −

D.L.ムーディー 著   仙台聖泉キリスト教会 山田 大 訳

    神の愛は変わらない

  聖書を学んでみると、神の愛が不変であることを見出すでしょう。人間の愛ならば、ひとたび
は愛しても、いつしかその愛も冷えてしまい、去って行くことも多くあります。時には愛が憎しみ
に変わってしまうことさえあるでしょう。しかし神の愛はそうではありません。イエス・キリストにつ
いてこう記されています。主が弟子たちに見捨てられ、カルバリへと引き渡されるまさにその
時、「世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示され」(ヨハネ13:1)たの
です。主は弟子の一人に裏切られることをご存知でしたが、それでもユダを愛されました。別
の弟子が主を否定し、決して知らないと誓うことをご存知でしたが、それでもペテロを愛された
のです。主は変わらぬ愛をもってペテロを愛し続けておられ、その愛こそが、ペテロの心を砕
き、悔い改めさせ、彼の主の足もとへ連れ戻したのです。3年の間、イエスは弟子たちと共に
おられ、生活と言葉によってだけでなく、ご自身の御業によって、その愛を教えようと努められ
ました。そして、引き渡される夜、主はたらいに水を入れ、手ぬぐいをまとわれ、しもべのように
弟子たちの足を洗われました。主は弟子たちにご自身の変わらない愛を悟らせようとなさった
のです。
  私にとって聖書の中で、ヨハネの福音書14章ほど何度も繰り返し読み、そして非常に甘美な
箇所は他にありません。この章は決して私を飽きさせません。主が弟子たちに対してご自身の
心を注ぎ出しておられる次の御言葉に耳を傾けてください。「その日には、わたしが父におり、
あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。 わ
たしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父
に愛され」(14:20〜21、強調点筆者)ます。天と地をお造りになった偉大な神が、私達を愛して
おられる、ということを考えてみてください。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守
ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人
とともに住みます。」(23節)
  御父と御子が、私達のところに来て共に住まうことを願われるほど、私達を愛しておられると
いう、この偉大な真理を、私達の貧しい心がとらえることを神は望まれたのです。一晩の宿な
どというのでなく、来て私達の心の中に住まわれるほどに…。
  さらに素晴らしい一節は、ヨハネ17章23節にあります。「わたしは彼らにおり、あなたはわた
しにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣
わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るため
です」(強調点筆者)。これはイエス・キリストの御口から発せられた御言葉の中で特筆すべき
もののひとつです。御父が御子を愛されない理由はありません。御子は死に至るまで御父に
従い通されました。決して御父の定めに背かれなかったし、全き従順の道から一歩たりとも脇
へそれたことはありませんでした。私達人間は全く正反対です。しかし、その人間のあらゆる反
逆や愚かさにもかかわらず、主は、私達がキリストに信頼しているなら、御父は御子を愛する
ように私達を愛してくださる、とおっしゃいます。なんという愛でしょう!なんと素晴らしい愛でし
ょう!神が、ご自分のひとり子と同じように強く私達を愛してくださるなんて、あまりに素晴らしい
ので信じがたいほどです。しかし、それはイエス・キリストの教えなのです。
  罪人に神の不変の愛を信じさせるのは困難です。人が神から迷い出る時、自分は神に憎ま
れている、と思うからです。私達は罪と罪人との区別をしなくてはなりません。神は罪人を愛さ
れますが、罪を憎まれます。神が罪を憎まれるのは、罪が人の生涯を破壊するからです。神
が罪を憎まれるのは、ただ罪人を愛しておられるからなのです。

 




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