「同労者」第60号(2004年10月)                        目次に戻る  

三浦綾子を読む  
<短歌・俳句>
− 三浦綾子を読む(5) −
− 続 氷 点 −
長谷川 与志充

 前回は処女作でもあり、代表作でもある「氷点」を取り上げさせていただきましたが、今回は
引き続きその続編である「続氷点」をご紹介させていただこうと思います。
 この作品を元々三浦綾子氏は書く予定ではなかったようですが、「氷点」の読者からの強い
要望と、出版社からの勧めによって「続氷点」は誕生するに至ったのです。
 この作品はこんな書き出しで始まります。「窓の外を、雪が斜めに流れるように過ぎたかと思
うと、あおられて舞上がり、すぐにまた、真横に吹きちらされていく。昨夜からの吹雪の名残り
だった。」
 「氷点」の最後で主人公の辻口陽子が自殺を図りましたが、そこで「吹雪」は終わったのでは
なく、その名残りは「続氷点」で続いていくことを暗示しているのです。
 「氷点」では人間の原罪が扱われ、他人を裁く罪、自分を正しいとする罪などが、様々の出来
事を通して、すべての登場人物を通して明らかにされています。しかし、この「続氷点」ではそ
れらがより如実なものとなり、特に「氷点」では不十分に示されていた主人公陽子の原罪がよ
り明瞭にされていきます。それは、自分を不義の中で生んだ母親に対する憎しみという形では
っきりと浮かび上がって来たのです。
 最後の解説で原田洋一師(盛岡教会の原田陽子師のお父様)は、「こころの友」誌の三浦綾
子氏の言葉を引用しています。「裁くことは、自分が正しいという位置に座し、自分が正しいと
いう確信を持つことだ。裁きの座につくかたは、神おひとりだけである。人間が裁くということ
は、神を押しのけ、その神の座にすわることなのだ。神を信頼しないものは、神に裁きを任せ
ておけないのだ。この傲岸さは日常の私たちの姿でもある。そんなことを思いながら、私は陽
子を書いていった。また裁くのは陽子だけではない。登場人物同志がお互いに随所で裁き合
っている。私は人間の恐ろしさを自分の中に見ないではいられなかった」 このようにして陽子
を含むすべての登場人物の罪が明らかにされてから、三浦綾子氏はそのゆるしを明らかにし
ていきます。それは、最後の「燃える流氷」という章で、キリストが十字架で流された血潮によっ
て、私達の心の中のとてつもなく大きな冷たい流氷(氷点、原罪)が燃やされ、溶かされていくと
いう霊的体験を、文学的に、しかも実にドラマチックに描いてみせたのです。
 陽子は友人でクリスチャンである順子から聞いていた十字架の罪のあがないを信じ、不思議
な安らぎを体験します。そして、今までゆるすことのできなかった生みの母に対して「おかあさ
ん!ごめんなさい」という言葉が湧き上がって来たのです。
 このようにして三浦綾子氏はキリストの十字架のゆるしの恵みを陽子を通して明らかにして
います。その1つは神にゆるされたという平安であり、もう1つは人をゆるすことのできる愛だと
いうことです。
                            (東京ミレニアム・チャーチ 牧師)


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