「同労者」第60号(2004年10月)                         目次に戻る

巻頭言
− この時代の教会 − 
山田 大

「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちて
おられるところです。」(エペソ1:23) 


 今年6月に長崎県佐世保市で起きた小学6年の女子児童が同級生の女児を殺害するとい
う 事件について、専門家が様々な見解を述べていましたが、その中に次のようなものがありま
し た。以下そのほんの概略です。 

 「この事件を特別なケースとして脇へ置いてしまうのでなく、現代社会を背景に他の子供たち
にも繋がっていることを前提に考えてみる。殺人事件が衝動的なものでなく、今回のように初
めから殺害する目的で用意をしたような場合、人間は相手が自分にしたことと相手のいのちを
奪うこととは等価であると見做している。では何故今回のようなネット上で非難を受けたという
ようなことがらが相手のいのちを奪うことと等価になってしまうのか。精神分析学的に心は3つ
の要素――@自我とA抑圧された欲求や衝動そしてBそこまでの人生で与えられてきた規
範 
――によってバランスが形成されているとされ、思春期は性ホルモンの活性化によるAの向
上と、押し付けられる規範への反発や否定によるBの低下の狭間で@の自我が揺れ動く時期
である。それまで親や家族といった生来の環境に由来していた規範に代わって、思春期には
別の仲間集団が行動選択の基準に影響を与える役割を果たし自我の発達につながる。さて
現代社会においては核家族化、少子化、地域社会の希薄化等により人との関わりの体験が
不足し心の深い部分で他人と関わり友達をつくることの出来ない子供が増えている。保護者自
身も子育てにきちんとした主義を持つことが出来ず様々な情報に踊らされ、例えば、短所では
なく長所に目を向けて伸ばしてあげましょう、というような一面的な個性尊重志向からしつけが
不足したりする。また現代は価値観の多様化という名のもとに自己中心的行動が許容される
社会になって来ている。そのような中で現代の子供たち自身は心身の発達ばかりが加速し、
児童期が短縮され思春期が前倒しして訪れる。小学校高学年で思春期を迎える児童が多くな
っている。自我が脆弱で規範も持たない子供がそのまま早すぎる思春期に突入してしまうので
ある。しつけをあまり受けていない子供は反発や否定すべき規範も持たず、――ゆえに目立っ
た反抗期もなくなっている――代わりに仲間集団を持つ必要性も低下し友達づきあいが表面
的なものになっていく。ますます他人から欠点を指摘されるというような経験がなくなっていくの
である。少子化により欲求が過剰に満たされ、希薄な人間関係の中で自己愛が傷つくことなく
成長した子供は、自分を特別な存在と考えるようになる。そのようにして自己愛が大きくなり過
ぎた子供はほんの些細な言葉や出来事に傷ついてしまう弱さと、自分だけは特別であるという
尊大さの二面を持っている。そのような状況の中で、早すぎる思春期という不安定さと重なって
今回のように自分を傷つけた相手は殺されるべきだと考えるようなケースが起きてしまったの
ではないか。」 
 本当にかいつまんだ内容ですが、大体以上のような話でした。この話が全て正しいということ
ではないかも知れませんが、この話を聞いていて私は随所に教会の素晴らしさを感ぜずには
いられませんでした。生まれた時から人間には規範が与えられ、しつけられることが必要であ
ること、また様々な人間関係の中で揉まれていかなくてはならないこと、それらは全て教会の
中に備えられています。現代社会において肉による家族は小さくなり、実際の地域社会は希薄
化しても、教会の中にある神の家族、神のコミュニティは変わらずに存在し、教会の中の子供
たちはどの年代の人とも自然に関わることを覚え、自分を深く省みることや隣人を深く愛するこ
とを教えられます。この時代にあっても神の価値観は弱体化も多様化もせずに教会の中で変
わらずに主張され、自己中心は許されません。教会の中に世代が切れ目無く続くことにより、
たとえ思春期にそれまで押し付けられて来た価値観に反発を感じたとしても少し先を行く先輩
が、教会の中に留まり続け信仰を見出す素晴らしさを身をもって教えてくれます。 
 この恐ろしい時代の中にあってこそ、教会は子供を育てる環境としても最高のものであること
を、そしてそれがやがてたましいの救いへと続くものであること、この教会は神が私たち人間を
愛するゆえに私たちに与えられた神の知恵であることを世に対して訴え続けるべきものである
と信じます。 
               み恵みは天地に  満ちみつれど 
               人の心の 変わるまでは 
               地によきことの 芽生えいでじ 
               主よ 新たになす霊 
               注ぎたまえ 

                   ・・・ 

                げに尊き福音の 力により 
                眠るみ民の 心さまし 
                神のみ前に かちどき歌う 
                リバイバルの火を 
                とく燃やしたまえ 

                     イムマヌエル讃美歌 335 

(仙台聖泉キリスト教会会員)



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