「同労者」第60号(2004年10月)                          目次に戻る 

論  説

 − 進化ということばに惑わされるな 

「アそれで今、一台の新しい車を仕立て、くびきをつけたことのない、乳を飲ませている二頭の
雌牛を取り、その雌牛を車につなぎ、子牛は引き離して牛小屋に戻しなさい。また主の箱を取
ってその車に載せなさい。罪過のためのいけにえとして返す金の品物を鞍袋に入れ、そのか
たわらに置き、それを行くがままにさせなければならない。あなたがたは、箱がその国への道
をベテ・シェメシュに上って行けば、私たちにこの大きなわざわいを起こしたのは、あの箱だと
思わなければならない。もし、行かなければ、その手は私たちを打たず、それは私たちに偶然
起こったことだと知ろう。」(サムエル記T6:7〜9) 


 近頃の世の中では、進化ということばが世界的に好まれて使われています。その傾向は、日
本で殊にはなはだしいようです。
 オリンピックがあってスポーツが大いに盛り上がりましたが、記録が伸びたり、新しい技がで
きるようになったりすると、「この競技がここまで進化した」と言い出します。それは進化ではな
く、「そのスポーツの技に上達した」のです。新しい機械が造られ、改善されたとします。すると
「この機械がここまで進化した」と言います。しかしそれは進化したのではなく、「その機械は改
善された」のです。太陽に相当する燃える星は無数にあります。そのエネルギーは原子爆弾と
同じ核反応によるのです。多数の星を調べた結果、星が誕生し成熟しやがて燃え尽きていく一
連の過程が分かってきました。するとそれを「星の進化」と言います。しかし、それは進化では
なく、「星が変化する」のです。 
 子供たちが、こういった進化ということばの使い方に慣れるとやがて、進化論を気軽に信じて
しまうのではないかと危惧するのです。私たちが信じていなければいけないものは、聖書のこと
ばであって、神の創造です。 
 問題は、地上の生物がどのようにして発生したか、殊に私たち人間がどこからきたのかとい
う点です。創世記の1章に、神はまず植物を造られ、水の中の生き物を造られ、鳥を造られ、
ついで地上の生き物、動物、家畜を造られたと書かれています。そして「地は・・それを生ぜ
よ。」とだけ書かれています。人間は神に似せて造られましたが、やはり地から出たものです。 
「あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らな
ければならない。」(創世記3:19)これらは地質の調査結果と一致します。地上のすべての植物
を含む生き物が、地から出てきたことは聖書の認めるところです。進化論者はそれが「偶然に
よって発生してきたのだ」と言います。偶然による進化を信じる人は、「初めに、神が天と地を
創造した。」(創世記1:1)とう神のことばを軽蔑し、神を偽り者と呼んでいるのです。 
私たちは「神がそれを設計され、造られたのである」ことを知っています。 




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