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          「同労者」第60号(2004年10月)
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          「あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、・・・加えなさい。」(ペテロU1:5)
           
          
           最近、小学生になる子供達が、挨拶や、感謝を表すという事をしないことが気になりだして、
           
          「ありがとう」は・・・「ごめんなさい」でしょう! 
          「おはようございます」から始まって「おやすみなさい」までやはり親も意識していないと、黙って
           
          すぎてしまうものです。 
           挨拶をする、感謝する、謝る、これらをタイミングよく表現すると言うことは大変なことだと私
           
          自身がひしひしと感じるからです。特に自分が苦手なことですし明日からやろうと思えば出来る ものではないことは、この歳になってすごく感じることだからです。 
           今までに、"あの時なぜきちんと挨拶できなかったんだろう"とか、特になにかを頂いたときや
           
          家族の誰かがお世話になったときに、すぐに電話なり、メールなり、ハガキなどでお礼をするこ とは大切な事と知りながらも、"遅いお礼"ばかりで失敗が多いのです。私(私の家族)に心を 用いてくださった方々に対しては、忙しいからとか、忘れてしまったなどという理由は本当にそ の方々を大切にしていないことの現われで申し訳なく、失礼ばかりをしてきてしまったように思 うのです。これこそ最優先しなくてはいけないことなのに・・ 
           最近はパソコンのメールも加わり、自分が人に出す時は、返事が来ないことに対して、いろ
           
          いろ思い巡らして、"忙しいのかな?、具合が悪い?私のメールは無視?など思うのです。そ れなのに自分は平気で2、3日ほったらかしたりして、本当に皆さん失礼しています。 
          子供に言う前に自分を改めたら?・・と大勢の人に言われそうですが、本当に気をつけようと思
           
          います。最低でも「メール読みました」の一言が大切ですよね。 
           そんな自分ですので、神様に対しても、教会に対しても、してくれて、あたりまえと思うような態
           
          度に陥りやすいのです。辛いとき、悲しいとき、助けてほしいときは、必死でお祈りしますし、教 会にも相談したりしますが、それが去ると、あとは何の気なしに、お祈りもそこそこ、感謝もそこ そこ、神様の投げかけには、忙しいからとか、いろいろ理由を付けて知らん顔する自らの姿を 見るのです。出来る、出来ないではなく、そこにきちんとした、誠意をもって対応することは大人 の信仰の一歩だと思いました。そこで本当の信頼関係や愛の交流、神様を大切に思う気持 ち、が養われる一つではないかと思わされています。 
           子供と共に私も変えられて成長させて頂きたいと願います。
           
          
          (仙台聖泉キリスト教会 会員)
           
          
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