「同労者」第68号(2005年6月)    教会通信に進む  目次に戻る  聖書の植物に戻る

聖書研究
仙台聖泉キリスト教会 聖書研究会1982.10.26(予稿)補遺

 未来における救いについて(12)
仙台聖泉キリスト教会 野澤 睦雄
 
 (3)教会の携挙
<第一の復活(つづき)>
第一の復活はイエス・キリストの贖罪の業です。
「というのは、死がひとりの人(アダム)を通して来たように、死者の復活もひとりの人(イエス)
を通して来たからです。」(コリントT15:21)

 イエス・キリストの復活が、私たちの復活の先頭になるもの(初穂)ですから、私たちもイエス
の復活と同じ復活が与えられるのです。弟子達のいた部屋に突然現れたり、去って行かれた
り、食事を一緒にされたりした、復活の後にイエスが弟子達に示された行動がその内容を示し
ます。
「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」(コリントT
15:20)
「キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご
自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」(ピリピ3:21)

 復活は「霊」だけでなく、「からだ」の復活です。使徒信条に「我は・・身体(からだ)の甦りと、
限りなき生命(いのち)とを信ず。」と告白しているとおりです。
「すると、イエスは言われた。『なぜ取り乱しているのですか。どうして心に疑いを起こすのです
か。わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。
霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています。』」(ルカ24:38〜39)
「地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、・・」
(ダニエル12:2)
「それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハ
ネ3:16)

 復活の体は朽ちない霊に属する体であり、栄光のある強いものです。
「死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しい
もので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらさ
れ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。」(コリントT15:42
〜44)

 復活は瞬時の出来事です。
「終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないもの
によみがえり、私たちは変えられるのです。」(コリントT15:52)

<復活した死者と生きている人(教会)の携挙>
 第一の復活に与った死者と、生きている信者とが一緒に空中に引き上げられて、再臨された
イエスにお会いします。
「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来ら
れます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たち
が、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このよう
にして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(テサロニケT 4:16〜17)
 繰り返し述べているように、これを教会の携挙といいますが、これは次のようなことを意味し
ます。
 現在イエス・キリストは、天におられて私たちは直接そのみ姿を見ることはできません。代わ
りに聖霊がキリストの霊としてイエスを顕されています。イエスが再臨されると再び見える形で
私たちの共におられるようになります。つまり聖霊と教会の時代が終わることを意味します。

 教会の携挙の時に、つまり千年王国のはじまる時に、携挙された人々に対するキリストの審
判(第一の審判)があります。
 その審判者はキリストご自身です。
「かの日には、正しい審判者である主が、・・」(テモテU4:8)
 そしてその審判の内容は、与えられる報いの大小を決定するものです。救いにあずかってい
る人々だけに対する審判であるからです。
「なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉
体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。」(コリントU5:10)

 その報いの大小は与えられたもの(タラント)をどれだけ忠実に用いるかによって決められま
す。ある人は豊かな報いを与えられますが、ある人はやっと天国にはいれるだけという結果に
なることもまた警告されています。
「その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だ
ったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』」(マタイ25:
21)
「もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、各人の働きは
明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現わ
れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。もしだれかの建てた建物が残れ
ば、その人は報いを受けます。もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けま
すが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。」(コリントT3:12〜15)
(以下次号)



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