「同労者」第95号(2007年9月)           目次に戻る     表紙に戻る

一度は原書を読みたい本

− キリスト者の完全 (49)
 
「その日、・・罪と汚れを清める一つの泉が開かれる。」(ゼカリヤ書13:1)
(訳文はたたき台です。気づいた誤訳やよりよい表現がありましたら、お知らせ下さい。 ・・ 編集委員)

24(証人 Jane Cooper つづき)
He proved he was not, by blessing me.


I was in a moment enabled to lay hold on Jesus Christ, and 
found salvation by simple faith.

He assured me, the Lord, the King, was in the midst of me, 
and that I should see evil no more.

I now blessed Him who had visited and redeemed me, and was 
become my `wisdom, righteousness, sanctification, and 
redemption.'

I saw Jesus altogether lovely; and knew he was mine in all his 
offices.

And, glory be to Him, He now reigns in my heart without a rival.
 

I find no will but his.

I feel no pride; nor any affection but what is placed on Him.
 

I know it is by faith I stand; and that watching unto prayer 
must be the guard of faith.

I am happy in God this moment, and I believe for the next.
 

I have often read the chapter you mention, (1 Cor.13.,) and 
compared my heart and life with it.

In so doing, I feel my shortcomings, and the need I have of
 the atoning blood.

Yet I dare not say, I do not feel a measure of the love there 
described, though I am not all I shall be.
 

I desire to be lost in that `love which passeth knowledge.'
 

I see 'the just shall live by faith;' and unto me, who am less 
than the least of all saints, is this grace given.
 

If I were an archangel, I should veil my face before him, and 
let silence speak his praise!




彼は私を祝福することによって、偏見をもたれるようなお方で
ないことを証しされました。
その瞬間、私はイエス・キリストに私自身をお委ねし、単純な
信仰による救いを見出しました。

主、私の王、主は私を保証され、私の真中に居られ、もはや
悪いものを私の中に見出しません。

今、私は私を贖い私のところに来てくださり、私の「知恵、義、
聖、贖い」となってくださった主を褒め称えています。
 

私は愛をもってイエスにお会いし、彼はいかなる働き場におら
れても常に私を覚えておられることが分かりました。

そして主に栄光がありますように。主は今邪魔するものなく私
の心を治めておられます。

私は彼以外の意志を見出しません。

私は誇りのみならず彼が置かれたもの以外に愛着を感じま
せん。

私は私が信仰によって立っていることを知っています。そして
信仰の盾として祈りを怠りません。

私はこの瞬間神にあって幸せです。そして次の瞬間もそうで
あると信じています。

私はしばしばあなたが示された章(コリントT13章)を読み、
私の心とそれに付随する人生を比較しています。

そのようにしている中に、私は私の欠けたところと、そのため
の贖いの血の必要を感じます。

私は私があるべき姿に完全になっているわけではありませ
んが、そこに記されている愛をある程度感じないとは、必ず
しも申し上げられません。

私は「はかり知ることのできない愛」のうちに落ちいることを
望みます。

そしてこの恵みを受けたすべての聖徒たちのもっとも小さい
方よりも小さい私にも「正しい人は信仰によって生きる」とい
うことが分かりました。

もし私が天使長だったとしても、私は主の前で自分の顔を覆
い、彼をほめたたえて沈黙するでしょう。
(以下次号)





トップへ
トップへ
戻る
戻る