「同労者」第95号(2007年9月)                          目次に戻る

Q&Aルーム

***************************************
 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてく
ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開
してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末に
あります。
***************************************

<イエス・キリストの復活>
先月の質問
先月の質問は、
 「イエス・キリストの復活について考えましょう。
・・イエス・キリストの復活が事実であることを聖書によって述べて下さい。」でした。


回答例(作成者:野澤)
 また、R.A.トーレイが「聖書の教え」に整理した記述を参照させていただきます。

5.イエス・キリストの復活
5.1 復活の事実(つづき)
(3) イエスは復活後、弟子たちにその姿を現されたが、弟子でなかった兄弟ヤコブとサウロ
(パウロ)にも現れなさった。
「また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。その後、キリストは五百人以上の
兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠
った者もいくらかいます。その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れまし
た。そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。」(コリントT
15:5〜8)
 他のすべての場所と同様に、ここでもイエスは、ただ彼の弟子たちのみに現れなさったことが
記されているのですが、例外として主の兄弟ヤコブとこれを記したパウロ自身(その時はまだ
敵対する者でした)に現れたことが特筆すべき事として書かれています。

(4) イエスは彼らが予期しなかった時に現れなさった。

(5) マグダラのマリヤにわたしにさわってはいけないと言われた。
「イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもと
に上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父
またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい。」(ヨハネ20:
17)
 「わたしにさわってはいけない」と記されていることについては、何の説明もなされていませ
ん。これは過去数世紀の長い間、註釈者たちが非常に苦しんでいる箇所です。なんの必要が
あってこれが書かれたのでしょうか。結局このことは、実際にそうであったからそのまま記され
たというほかないでしょう。

(6) イエスの脇腹を兵卒がやりで突き刺したら血と水が流れでた。
「しかし、兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出
て来た。それを目撃した者があかしをしているのである。そのあかしは真実である。その人が、
あなたがたにも信じさせるために、真実を話すということをよく知っているのである。」(ヨハネ19:
34〜35)
 なぜ、このことが伝えられたのでしょうか?近代の生理学者たちは、このことに関する生理学
的解釈は、イエスの血液溢出現象は心臓破裂によるものだというのです。これと同様に、イエ
スの死の叫び声やその他の事実もおなじことを証明していると。
 しかしヨハネがなにも近代生理学というものを知っていたわけでなかったことはいうまでもあり
ません。なぜ彼は過去幾世紀間も解釈に苦しむようなこうした難問題を詳細に書き記したので
あるかは、かれは見たままを書いたにすぎないということです。
(ホジキンが、イエスが完全に死なれたことを示すものであると「六十六巻のキリスト」に述べて
いる解釈がよいと思います。聖書に一貫して記されていることの一つに「血がいのちである」と
いうことがあります。ですから、血液が生きている間は、いのちが残されていると考えることが
できます。しかし、血液が、分離して血清と血漿に分かれてしまった、つまり完全に血まで死ん
だこと示すためであると解釈するのです。−編集者註)
(以下次号)



<今月の質問>
 イエス・キリストの復活について考えましょう。
・・イエス・キリストの復活が事実であることを聖書によって述べて下さい。
 



トップへ
トップへ
戻る
戻る