「同労者」第95号(2007年9月)                          目次に戻る 

論  説

 − 求む、主の戦士 

「今、民に聞こえるように告げ、『恐れ、おののく者はみな帰りなさい。ギルアデ山から離れなさ
い』と言え。」すると、民のうちから二万二千人が帰って行き、一万人が残った。
 すると、【主】はギデオンに仰せられた。「民はまだ多すぎる。・・またわたしがあなたに、『この
者はあなたといっしょに行ってはならない』と言う者はだれも、行ってはならない。」そこでギデ
オンは民を連れて、水のところに下って行った。すると、【主】はギデオンに仰せられた。「犬が
なめるように、舌で水をなめる者は残らず別にしておき、また、ひざをついて飲む者も残らずそ
うせよ。」そのとき、口に手を当てて水をなめた者の数は三百人であった。残りの民はみな、ひ
ざをついて水を飲んだ。そこで【主】はギデオンに仰せられた。「手で水をなめた三百人で、わ
たしはあなたがたを救い、ミデヤン人をあなたの手に渡す。残りの民はみな、それぞれ自分の
家に帰らせよ。」(士師記7:2〜7)


 ギデオンが主に召されて戦いにでる時の記事です。ギデオンがこの戦いに勝利したことによ
って、ミデヤン人に苦しめられていたイスラエル人は全員がその恵に与ったのです。もちろん、
家に残っていた非戦闘員も、最初に帰った2万2千人も、次に帰った9千7百人も、そして戦い
をした3百人も。 最初に集まった3万2千人は皆戦おうと思って出てきたのです。しかし、恐れ
おののく者は帰れといわれ自分の心をみて、2万2千人が帰りました。残った1万人の人々
は、皆恐れずに戦う心をもっていましたが、9千7百人は失格し3百人だけが残されました。神
が必要とされる人数は僅かで、ふるい落として人数を減らすテストをしたのだと思われるかも
知れません。
「競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っている
でしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。」(コリントT9:24) 選ばれる
人数が少ないのですから、それを獲得する努力をしなさいと勧められています。ギデオンの兵
卒は、神ご自身がその信仰の姿勢を判別されました。
 私たちは、最低限の救いをいただけさえすればよいのでしょうか。戦いを怖れて逃げ帰る兵
卒でよいのでしょうか。
 私たちは主の戦いに参加したいのです。それならば主の兵卒に相応しい信仰生活をしてい
るでしょうか?それとも主が使って下さらないような信仰生活をしているでしょうか?
 戦える者しての備えを真摯にさせていただきましょう。「・・神のすべての武具をとりなさい。で
は、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和
の福音の備えをはきなさい。・・信仰の大盾を取りなさい。・・救いのかぶとをかぶり、また御霊
の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。・・」(エペソ6:10〜18)



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