「同労者」第95号(2007年9月)                           目次に戻る

信仰良書

− 神 へ の 道  (79) 
D.L.ムーディー 著   山田 大 訳

 満ちたりる人生(つづき)

  私たちの疑いはどこから来るのでしょうか。神が愛しておられる人々の非常に多くが、自分
自身をしもべ以上のものとしてとらえないのです。しかし主は私たちを友と呼んでくださいます。
見知らぬ家に行っても、しもべと息子の違いを見分けるのは簡単です。息子は家の中をどこで
も全く自由に歩きますし、とてもくつろいでいます。しかししもべは自分をもっと低い立場に置き
ます。私たちが求めるのはしもべ以上のものです。私たちは自分達が息子や娘として神と共に
いることを認識するべきです。神は決してご自身の子ども達を「勘当」なさいません。神は私た
ちを養子にしてくださっただけでなく、生まれながらの子どもにしてくださいました。私たちは神
の御国に生れたのです。私の息子は14歳の今と同様に、生れたその日にも私の子どもでし
た。まだまだ男らしさに達しない年齢の頃にも、彼は私の息子でした。たとえ後見人や保護観
察者の下に保護を受けなければならないようになったとしても、彼は私の子です。同様に神の
子ども達は完全ではありませんが、完全に神の子どもです。
 もう一つの疑いの元は、自分ばかりを見ていることです。もしあなたが朝から晩まで疑いに満
ちて、哀れで惨めになりたいと願うなら、自分ばかりを見ていればいいのです。「志の堅固な者
を、あなたは全き平安のうちに守られます」(イザヤ26:3)。神が愛しておられる子ども達の多く
が、自分自身ばかりを見続けることによって喜びを奪われているのです。
(訳者 仙台聖泉キリスト教会 会員)



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