「同労者」第95号(2007年9月)
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学んでいるレビ記23章の規定が、新約聖書に記されている出来事に符合していることが分
かります。新約聖書の記者たちも、関連する事件が起きた結果、あの旧約の記事はこのこと だったと気付いたことでしょう。同様に私たちも、新約の記事と旧約の記事を比較して旧約の 記事の意味を悟るのです。先にも記しましたが、過越の犠牲の子羊の骨は折られてはなりま せんでした(出エジプト記12:46)。十字架上でのイエスの骨が折られなかったことから、新約の記 者はこれがイエスに当てはまることを記しました(ヨハネ19:36)。
それと同様私たちには過越と種を入れないパンの祭りの最後の安息日の翌日に、初穂の束
が神の前に振られて記念されたことの意味が分かります。
「祭司は、あなたがたが受け入れられるために、その束を【主】に向かって揺り動かす。祭司は
安息日の翌日、それを揺り動かさなければならない。」(レビ記23:11)
「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を
見に来た。・・すると、御使いは女たちに言った。『恐れてはいけません。あなたがたが十字架 につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。ここにはおられません。前から言っ ておられたように、よみがえられたからです。』」(マタイ28:1〜6)「しかし、今やキリストは、眠った 者の初穂として死者の中からよみがえられました。」(コリントT15:20)
こうして、私たちはレビ記23章11節の初穂の束を神の前に揺り動かす儀式の意味が、キリ
ストが安息日の翌日に、キリストにあって死んだすべての人々の復活の初穂として復活された ことであると分かります。
既に起きたできごとに関しては、読み誤ることは少ないでしょう。しかし、仮庵については、こ
れから起きることと考えられますから、絶対こうですといえるものではありません。ですからそ の解釈は、神はこのように示しておられるのであろうという推測の範囲にとどまります。
この章の規定は、祭司が行う儀式として記されており、祭司の働きに関係するものであること
を理解している必要があります。
仮庵の祭りは、「あなたがたは七日間、仮庵に住まなければならない。イスラエルで生まれた
者はみな、仮庵に住まなければならない。これは、わたしが、エジプトの国からイスラエル人を 連れ出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたがたの後の世代が知るためである。」 (レビ記23:42〜43)と書かれているとおり、カナンの地に定住した後に生まれてくる子供たちに、 神がイスラエルをエジプトから連れ出し、シナイの荒野の旅をさせられたことを教えることがそ の目的でした。
エジプトでの生活、シナイの荒野での生活、カナンの地での生活そしてそれらを分けた、紅海
を渡ったこと、ヨルダン川を渡ったこと、これらの一連のできごとは私たちの救いの型であると 言われてきました。
その解釈は三重です。
私たちの霊の事柄については、エジプトは私たちがサタンの支配のもとにあったときを示し、
シナイは救われてサタンの支配を脱しみことばに導かれて歩むときを示し、カナンは全き自由 を与えられた聖潔の生涯を示しています。着目点は「主がイスラエルをエジプトから連れ出され た」ことによってはじまったシナイの旅でありますが、そこは絶えず様々な不足があり、恐れに かこまれた荒野の旅です。
私たちの信仰のいのちについては、エジプトは救いを知らず神なく望みのなかった不信者で
あった時を示し、紅海を渡ったことは救いを示し、シナイの旅は新生のいのちに歩んでいる時 を示し、カナンは天国を示しています。
天のみ国については、エジプトはサタンの支配にある国を示し、シナイはサタンの支配が終
わった千年王国を示し、カナンは新天新地を示します。
今私たちが生きている世は「この世」と呼ばれ、「空中の権威を持つ支配者として今も不従順
の子らの中に働いている霊」(エペソ2:2)「悪魔・・・主権、力、この暗やみの世界の支配者」(エペソ 6:11、12)サタンの支配下にあります。この圧制者の支配から脱し、しかし、なお地上の生活を する千年王国をシナイの旅で表し、乳と蜜の流れる国カナンによって新しい天と新しい地を表 すと考えるのは相応しいことです。
ですから、エジプトから脱しシナイの旅に入った記念の仮庵は千年王国を表すと考えてよい
のです。
私たちはイエスが再臨されれば、世界中の人々が直ちにその権威に服すと思いがちです
が、そうではありません。イスラエルとキリストを信じている人々だけがその権威に服すので す。
「地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、【主】と、主に油をそそがれた者とに
逆らう。『さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。』」(詩篇2:2〜3)
ですから、やむなく戦争によってイエスに逆らう人々は平定されます。
「【主】が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。」(ゼカリヤ書14:3) 神
と戦って勝つはずがありません。戦争はキリストにつく人々の勝利で終わりキリストの王国が確 立します。そして「仮庵の祭り」が行われます。
「エルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の【主】である
王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。」(ゼカリヤ書14:16)
(以下次号)
(仙台聖泉キリスト教会会員)
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