「同労者」第96号(2007年10月)
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「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、
すべての部分がともに喜ぶのです。 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各 器官なのです。」(コリントT12:26〜27)
年一回の恒例行事となった我が教会野球部イーグルスの合宿が今年も行われた。年々内
容的に充実しているように感じる。2004年と2006年は秋保温泉のコテージで自炊したのだ が、04年は恒励会(壮年)中心に、そして昨年は大学生、高校生中心に炊事を行った。
今年は海岸沿いの民宿で、夕食時は海辺ならではの豪華なメニュー。さて、みんなにご飯を
盛って配らないと…と思ってた矢先、「オイ!ヒカルから(年齢が)下集まれ!」…中学生M君 の一声で小、中学生計4人がご飯と水を配りだす。その腰が軽いこと…! 次の日の朝食 も、M君が食堂に来る前に小学生の2人がはりきってご飯を配っていた。よほど試合に出たい のか、それとも仲間と配膳をすること自体喜びに感じているのか、いや普段家でもこうなのか …とにかく2004年には眠い目をこすって最後に朝食を食べていた4人が、今年は強いられる ことなく仕えている姿をみることが出来、とても感謝だった。
社会人1、2年目の時、私は日曜日教会で行う野球の活動を辛く感じていた。平日ただでさえ
仕事で四苦八苦しているのに…なんで野球なの…と。けれどもちょうどその時期、教会の野球 を通して自分を活かそうとしている中学生がいた。私はこの人たちの為に野球の場にいなけれ ばならない。そう…考えてみれば日曜日寝ていられるのは独身の時くらい。ノンクリスチャンの お父さん達だって日曜は家族サービスやらつきあいやら忙しいじゃないか。とにかく、自分の生 きる場所は教会であることを再確認し、自分のことばかりじゃなく他の人のことも視野にいれな いと…先を歩む人達と共に取り組むことが出来た。
現在のレギュラーである高校生のT君は、いとも自然に後輩に声をかけ、試合中、練習中関
わらず他の選手に声を掛けて、それがチームの励みになっている。同じ高校生のS君も、キャ ッチャーとして積極的に、自分のことだけでなく視点をチーム全体に置いてプレーをしている。 そして、彼の野球に対する情熱が、他の選手にいい刺激を与えている。願わくば、これからも 今のレギュラーが一人も欠けることなく共に恵みに与りたい…大切なことは、このメンバーで喜 びと涙を共にすること。一致することの素晴らしさを得ること。
そんなことを教えられた合宿だった。
イエス・キリストの福音は、個人が勝手思うままに伝えればいいのではない。福音宣教…信
仰継承を神様は教会に託されたことを、忘れてはならない。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)
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