「同労者」第96号(2007年10月)                          目次に戻る

Q&Aルーム

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 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてく
ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開
してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末に
あります。
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<イエス・キリストの復活>
先月の質問
先月の質問は、
 「イエス・キリストの復活について考えましょう。
・・イエス・キリストの復活が事実であることを聖書によって述べて下さい。」でした。


回答例(作成者:野澤)
 また、R.A.トーレイが「聖書の教え」に整理した記述を参照させていただきます。

5.イエス・キリストの復活
5.1 復活の事実(つづき)
(7) 弟子たちのひとりトマスは復活を信じていなかった。
「十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたときに、彼らといっしょにい
なかった。それで、ほかの弟子たちが彼に『私たちは主を見た』と言った。しかし、トマスは彼ら
に『私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差
し入れてみなければ、決して信じません』と言った。」(ヨハネ20:24〜25)
 これは人生への最も大きい真理です。またトマスという人物についても、他の箇所に記されて
いる事柄と完全に調和しています。もしこれをねつ造しようとしたら、記者が持っている能力を
無限に越えるほどの文学的技巧を要したことと思われます。
(8) ペテロとヨハネが墓に走っていった記事について
「そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。 ふたりはいっしょに走っ
たが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。 そして、からだをかが
めてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中に入らなかった。 シモン・ペテロも彼に
続いて来て、墓に入り、亜麻布が置いてあって、イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布
といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。」(ヨハネ20:3〜6)
 これは私たちが、これらの人について知っていることに一致している。ペテロより若年のヨハ
ネがペテロより早く主の墓に着きました。しかし、彼は墓の中をのぞき込みましたが、躊躇して
中に入らず墓の外にとどまっていました。ところが、年上で短兵急なペテロは、墓にたどり着く
やいなや、外で少しの時間も待とうとはせず、墓の中に飛び込んで行きました。いかにも性急
なペテロの気性をよく表していると思います。どんな文学的技巧家といえども、こうした事実を
見た者の如実な描写でなくて、どうしてこれだけの精巧さを持って、この記事を作り上げること
ができるでしょうか。
(9) 漁に出かけた弟子達にイエスが現れなさった記事について
「そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。「主です。」すると、シモン・ペテロは、
主であると聞いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ。」(ヨハネ21:7)
 私たちは、ここにもこの出来事が真実であることを物語る著しい特徴を見いだすことができま
す。目の良いヨハネに、岸にいる人がイエスであることが、だれよりも早く分かりました。ところ
が、主であると告げられたペテロは、例の性急で単純な信仰者の本質を表し、たちまち眼前の
水中に身を躍らせて飛び込み、岸辺に立たれた主のみ側に泳ぎ着いたのでした。しかも、上
着をまとって。このように真にせまる記事がねつ造できるものでしょうか。
(10) マリヤがイエスにお会いした記事
「イエスは彼女に言われた。『なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。』彼女
は、それを園の管理人だと思って言った。『あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置い
たのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。』」(ヨハネ20:15)
 ここにも、その時代あるいはいかなる時代の人によっても企てることができない人力を越えた
筆致が確かに想像されます。マリヤは主に対する愛のゆえに、自らがか弱い女であることを忘
れ、墓守とばかり思いこんでいた復活の主に呼びかけて、「もしあなたがたあの方を移したの
でしたら、どこに置いたかどうぞおっしゃってください。私がそのかたを引き取ります。」と言った
のです。もちろん、彼女にはそうしたことができる力はない。けれども婦人の愛には不可能を
可能にするという意気があります。これをもってしても、なおこの記事がねつ造されたものであ
るということができるでしょうか?
(以下次号)



<今月の質問>
 イエス・キリストの復活について考えましょう。
・・イエス・キリストの復活が事実であることを聖書によって述べて下さい。
 



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