「同労者」第96号(2007年10月)                           目次に戻る

信仰良書

− 神 へ の 道  (80) 
D.L.ムーディー 著   山田 大 訳

 3通りの見方

 ある人が言いました「3通りの見方があります。もしあなたが惨めでいたいのなら、自分の内
側を見なさい。心を惑わしたいのなら、周りを見なさい。しかしもし平安を得たいのなら、上を見
なさい」と。ペテロは湖の上を歩いた時、キリストから目を離した途端に沈み始めました。主は
彼に言われました「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか」(マタイ14:31)。ペテロは神の永遠のこと
ばであられる方を掴んでおり、それは大理石よりも、御影石よりも、鉄よりも確かな足場だった
のです。それなのに彼はキリストから目を離してしまい、その瞬間彼は沈み始めたのです。周
りを見回す人々は自分の歩みがいかに不安定で恥ずかしいものか見えていません。私たちは
「信仰の創始者であり、完成者である」(ヘブル12:2)方を真っ直ぐに見つめていたいものです。
 私は子どもの頃、雪道では前方の木や何かの目標物に視線を固定しておかないと、真っ直
ぐ歩くことが出来ませんでした。前方に定めた目標から目を離した途端に曲がってしまうので
す。私たちはキリストに視線を固定している時だけ全き平安を見出すのです。死からよみがえ
られた後、主は弟子たちに御手と御足をお見せになりました(ルカ24:40)。それは弟子達の平安
の礎でした。もしあなたが疑いを消し去りたいのなら、血潮を仰ぎなさい。しかしもし疑いをもっ
と深めたいと言うのなら、自分自身を見つめなさい。数日間自分自身のことだけに心を奪われ
ていれば、何年分もの疑いを得られるでしょう。
 ですから、自分自身がどんな人間で、何をして来たかではなく、主はどのようなお方で、何を
してくださったかを見つめなさい。それが平安と安息を得る道です。
(訳者 仙台聖泉キリスト教会 会員)



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