| 
           
          
          「同労者」第97号(2007年11月)
                                   目次に戻る
           
          
          「そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともに
           
          し」(使徒2:46) 
           私の3番目の息子が教会の先生の家に泊まりに行きました。帰ってきた息子の腕に大きな
           
          落書きがありました。 
           どうも居眠りをしていた時に書かれた様で、そこには「やっち、大好きだよ」と書いてありまし
           
          た。そして先生の名前も・・・・ 
           息子は帰ってきて自慢そうにみんなに見せていました。私はその息子の喜んでいる笑顔を見
           
          て、とても嬉しくなりました。 
          好きなものを頂いたわけでもなく何か得をしたというのでもなくマジックで書かれたそのことがと
           
          ても嬉しく喜んでいる姿を見て、ずっとこの心が気持ちが子供の内に生き続けることができたら と思わされました。 
           私も自らの若い頃を思い返してみる時に決して教会の先生に愛されるに値するものではあり
           
          ませんでした。違う方向を見ながら、自分のやりたいことばかりに目を向けて走っていました。 しかし、そのような私に対してでも教会の先生はいつも変わらずご馳走してくれたり言葉をかけ 続けてくださいました。 
           その時は神様のことはよく分からなかったのです。しかし、私のそばにいてくれた人々の愛は
           
          他ばかりを見ていた私に振り返るチャンスをくれたのです。それは、もちろんそこに神様の豊 かな哀れみの御手があったことを信じ感謝をしています。 
           そして今も教会の内ある、変わらない愛の交わりが息子たちにも豊かにあることを感謝しな
           
          がら、神様に「いつも大好きだよ」と言っていただける家族として歩み続けたいと願っています。 
          (仙台聖泉キリスト教会 会員)
           
          
  | 
      |||||||||||||||