「同労者」第98号(2007年12月)
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「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。その
いのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」 (マタイ 16:26)
今回は、2つのエピソードを書きたいと思います。
一つ目は先日家内にも話したのですが、昨年の野外礼拝への準備の話です。
毎年、私の教会では、秋の野外礼拝の際、教会学校のクラスに分かれてバーベキューをす
るのですが、私は成人科クラスにて、ステーキ用の肉を用意する係になりました。早速、中心 的に話を進めていたS姉妹から、ある肉屋さんを紹介されました。大まかな予算を確認して、ま ずは肉屋さんに電話をしました。そうしたら「ウチはとてもじゃないけどそんな予算じゃ売れない よ。相場はもっと高いんだよ」・・・と門前払いをされてしまいました。その日の夜教会にて集会 があり、その際私はSさんに報告がてら、「僕が知っている他の肉屋さんでもいいですよね?」 と話を進めようとしました。しかし私が報告をするとSさんは、「そこはそんな肉屋じゃないはず だよ」と言って、交渉の仕方をアドバイスしてくれました。その時私は、(あぁここでSさんの言う 通りにすることが、僕がお肉の準備担当に選ばれたことに意味をもたせるポイントかな・・・)と 思い、他の肉屋の話はしないことにしました。
次の日、私はSさんから紹介された肉屋に足を運び、ステーキ用肉を恨めしそうにジーッとに
らみ(笑)、(この店から何としても安く良い肉を買うんだ)と自分に言いきかせつつ、肉屋のおじさ んと話をしました。そうしたら、おじさんは驚くほどの値引率で良い肉を売ってくれました。そし て、野外礼拝当日、Sさんをはじめ、多くの人に美味しいと喜んでもらえました。
このエピソードでの最善は、成人科の人達に良い肉を安く振る舞うことではなく、実は、Sさん
と私が準備に携われた喜びと恵みを共にして、なお信仰の絆を深めることだったのです。神様 の最善=合理的な方法とは必ずしもならないのです。
2つ目のエピソードは、最近救いの恵みを受けた大学生、K兄弟の話です。彼は教会の人達
の前で罪を告白しながら、礼拝での牧師先生の説教にて示しをうけた証をしました。「『・・・仕 事がなくなっても、いい学校に入れなくても、勉強ができなくてもいいじゃないですか。真の神に 出会わなかったなら、信頼できなかったらあなたどうするんですか・・』僕は嘉納先生の言葉を 聞いてとても心が打たれました・・・その後、嘉納先生とお話した時、『本当は、打率0割の2番 バッターでもいいじゃないか、と言おうとしたんだ』といわれました。打率0割の2番バッターなん か普通はあり得ない、『けれどヘッドコーチはイーグルスで0割の君を2番で使い続けてる。そ れは君が従い続けているからなんだよ』と言ってくださいました・・・」
野球には技術が必要です。同じようにこの世の戦いも日々激しく、乗り切るには技術が必要
です。けれども、大切なことは、イエス・キリストの旗を掲げつつ同労者と共に戦うその姿勢・・・ そのことを伝えるために、教会野球部イーグルスの活動をしてきたのだと、彼の救いの証、信 仰告白を聞きながら私は思いました。
最善って何?・・・神様の示すこと、神様からでたことに、・・・それは時に困難であっても、不
合理に思っても、従い続けること。それを、新しい一歩を踏み出した私達夫婦にとっての最善 にしようと確認し、感謝した11月でありました。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)
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