「同労者」第98号(2007年12月)                         目次に戻る

巻頭言
− 使 命 − 
齊藤 望

「天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。彼は、お
のおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラン
トを渡し、それから旅に出かけた。五タラント預かったものは、すぐに行って、それで商売をし
て、さらに五タラントもうけた。・・・・・役に立たぬしもべは、外の暗闇に追い出しなさい。そこで
泣いて歯ぎしりするのです。」(マタイ 25:14〜30)

 先日の説教の中でタラントのたとえの話しが語られていました。私たち一人ひとりの信仰の
深さ、能力に応じて使命が与えられているのだということに気付かされました。
おのおのが与えられた賜物を有効に活用し同じくらいの賜物を得ることができたにもかかわら
ず、何も策を講じることなく活用しなかったしもべは役に立たないものとして扱われ外に投げ出
されたのでした。
 聖書の中ではタラントは金の重さに表現されていますが、私たちの信仰生活の中でタラント
に値するものが何であるかは個々に異なるものと思います。私にとってそれが使命ではないか
と示されました。
それぞれの使命をどのように遂行していくのかは個々に委ねられているのです。教会活動の
働きの中にも明らかに使命を意識しておられる方を数多く見受けられます。このことが各器官
の強い結びつきを生み、体なる教会の働きを円滑にする動力になっていることに間違いはあり
ません。
 ところで、自分自身の使命は何であるかを自問した時にまず第一に思い浮かんだことは
日々祈っている子供達の信仰の確立でした。そのために何を為すべきかを模索していたとき
に礼拝説教の中で語られた「両親が変わらなければいけない。」のメッセージが私の心にピー
ンと響きました。まさにそのことが大切だったのです。
 価値観、価値基準、神に対する恐れ、謙遜、権威、と多くの事柄が平板な友達親子のように
語られている現状は良くないこと。親としての権威、子として従順に従うことを教えなければなら
ないこと等示されました。
 自由の中を歩み始めた子供達にとって自由の裏には責任がある事も教えなくてはいけませ
ん。しかしながら、信仰の不完全なままではサタンの支配する世界では淘汰されてしまいます。
親として献児された子供を真理を理解し信仰者として神の御許にお返しする責任があります、
最後までこの世界で見届けることはできませんが、天にて再び合うことのできるよう自由よりも
従順をしっかりと教えることを自分自身の使命として祈りつつ歩んで行きたいと願っています。
『あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。』(詩篇37:5)
(仙台聖泉キリスト教会会員)



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