「同労者」第98号(2007年12月)                          目次に戻る

Q&Aルーム

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 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてく
ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開
してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末に
あります。
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<イエス・キリストの復活>
先月の質問
先月の質問は、
 「イエス・キリストの復活について考えましょう。
・・イエス・キリストの復活が事実であることを聖書によって述べて下さい。」でした。


回答例(作成者:野澤)
 また、R.A.トーレイが「聖書の教え」に整理した記述を参照させていただきます。

5.イエス・キリストの復活
5.1 復活の事実(つづき)
(14) テベリヤの湖畔で、弟子達の前に現れ、ペテロをお取り扱いになったこと。
「彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなた
は、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があ
なたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさ
い。」イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロ
はイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは
彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモ
ン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と
言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あな
たは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの
羊を飼いなさい。」」(ヨハネ 21:15〜17)
 なぜイエスはここでペテロに3回も同じことを尋ねられたか、またペテロは、なぜ3回尋ねられ
たことを悲しんだかということについては、何も説明がありません。これを理解するためには、
私たちはペテロが以前、私は主の弟子ではないと3回言ったことを覚えている必要がありま
す。しかし、聖書記者はそれには全く触れていません。もし、それを前提にこの記事をねつ造し
ようとしたなら、それも記すはずです。ですから、この聖書記者はねつ造しようとしたのではな
く、彼が見聞きしたことをそのまま書いたのに違いありません。

(15) イエスが復活後に種々の異なった人にご自身を現された方法が適切であったこと。
<マリヤに対して>
「イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先
生)」とイエスに言った。」(ヨハネ 20:16)
 これは、人間性のとても緻密な描写です。イエスが呼びかけられるまで、マリヤはそれがイエ
スだと気づいていませんでした。ところが、自分の聞き慣れた声で「マリヤよ」と呼びかけられた
ので、イエスだとわかり、狂喜して主の足下にひれ伏し、「ラボニ(先生)」と呼んだのです。果た
してこれがねつ造であると言えるでしょうか?

<二人(クレオパともう一人の弟子)に対して>
「彼らとともに食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された。それ
で、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。するとイエスは、彼らには見えなくなった。」(ルカ 
24:30〜31)
 パンをさくことによって、彼を主と悟ることができたのです。それがどんな理由によるものであ
ったか、ヨハネはその説明をしませんでした。けれども私たちが、本文を読んで、その聖句の
中に含まれている意味を考えるとき、確かにイエスがパンを割いてこれを食べるために、感謝
の祈りをささげられたなら、それは通常の人のそれとは全く違っていたものと思われます。イエ
スの感謝の祈りが、あまりにも真実であって、他の人の祈りと違っていたので、彼らは容易に
それがイエスであると気づいたものと思われます。こうした記事をねつ造できたでしょうか?
(以下次号)



<今月の質問>
 イエス・キリストの復活について考えましょう。
・・イエス・キリストの復活が事実であることを聖書によって述べて下さい。
 



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