「同労者」第98号(2007年12月)                          目次に戻る 

論  説

 − クリスマスに思う 

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と
思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、その
ような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは神の
御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の
姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にま
で従い、実に十字架の死にまでも従われました。」(ピリピ 2:3〜8)


 神はご自身に似せて、人間を造られたとはいうものの、私たちは自分が神とはいかにかけ離
れたものであるかを承知しています。ですから神が真の人間になられたとはなんと大きなこと
であったことか分かります。ご自分が造られた被造物に、ご自分がなられたのですから。
 なぜそうなされたのか、その答えは繰り返し語られています。「私たち人間を愛し、人間を罪
から救うため」です。
「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪
から救ってくださる方です。」(マタイ 1:21)
これがマリヤが身ごもったことを知って、密かに婚約を解消しようとしていたヨセフに告げられ
たことばでした。
 ご自身を赤子としてマリヤとヨセフの手に委ねられました。マリヤとヨセフはなんと光栄な仕事
をさせていただいたことでしょう。イエスは彼らの庇護の元に成長しました。そして、人間となら
れた目的である十字架の贖い、すなわち人間を罪から救う道をひらくことを成就されました。
 それによって、私たちは今その救いに与っています。
 救いに与った私たちに求められていることは、イエスの心を自らの心とし、イエスの歩まれた
ように私たちも歩むことです。
 私たちの心は、冒頭のみことばのうちにパウロが指摘しているように、自己中心や虚栄に傾
きやすいのです。ですから、彼は「互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」、そして自己
中心に生きるのではなく、「他の人のことも顧みなさい」、それをあなたがたの「心構え」としなさ
いとすすめます。そして、彼はイエスを私たちの模範として指し示します。「キリストは神の御姿
である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をと
り、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従
い、実に十字架の死にまでも従われました。」
 もし私たちが隣り人に愛を表そうと思うなら、イエスに倣って歩むことが必要です。クリスマス
の節季にいま一度キリストの心を持たせていただく「心構え」をしようではありませんか。



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