「同労者」第99号(2008年1月)                          目次に戻る 

論  説

 − 新年の決意 

「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いしま
す。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。そ
れこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が
良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自
分を変えなさい。」(ローマ 12:1〜2)


 私たちは、信仰というものを考えるとき、「決意」「決心」が非常に重要であることに気づきま
す。
 イエスが例話として取り上げられた放蕩息子は、「父のもとに帰り、こう言おう」と決心しまし
た。「立って、父のところに行って、こう言おう。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあな
たの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとり
にしてください。』こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。」(ルカ 15:18〜19)
 そして、決心したことを実行しました。そうすることによって、彼は父の恩恵に与ることができ
ました。
 ザアカイは、イエスが「あなたの家に泊まる」と言われたことに対して、自分の家にイエスをお
迎えするのに相応しくしようと決心しました。彼はだまし取ったものがあるままで、イエスをお迎
えできなかったのです。そしてこう言いました。
「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだ
まし取った物は、四倍にして返します。」(ルカ 19:8) 彼は、イエスを迎えるに相応しい者になりま
した。
 私たちが救われた時、罪を悔い改める決心をしました。イエス・キリストあるいは神にすがる
決心をしました。信仰の道を歩む決心をしました。それはなんと大切なことであったことでしょ
う。
 入信の時だけでなく、信仰に歩む中においても、決意、決心というものは大きな働きをしま
す。
 教会に通っていても、真に神のもとに帰っていない方は、今年こそイエスのもとに帰ろうと決
心しようではありませんか。
 救いを与えられ、信仰に立っている私たちも、「この世と調子をあわせず」イエスをお迎えす
るのに相応しい自らであることを決心しようではありませんか。そして決心したことを実行しまし
ょう。
 新しい年を迎えました。この年どのように生きるべきか、神の指し示して下さるところを見い
だし、それに従って生きることを求めましょう。



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