「同労者」第100号(2008年2月)                          目次に戻る

Q&Aルーム

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 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてく
ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開
してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。送付先は巻末に
あります。
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<イエス・キリストの復活>
先月の質問
先月の質問は、
 「イエス・キリストの復活について考えましょう。
・・イエス・キリストの復活が事実であることを聖書によって述べて下さい。」でした。


回答例(作成者:野澤)
 また、R.A.トーレイが「聖書の教え」に整理した記述を参照させていただきます。

5.イエス・キリストの復活
5.1 復活の事実(つづき)
第3: 間接的証拠
 歴史上のある確定されている事実を説明するために、キリストの復活がなくてはならない条
件であることが、キリストの復活の事実性を証明する。

(1) 初代教会において説かれたキリスト教の根本真理が、復活ということであったことは疑う
余地がない。
 (イ) 使徒たちがこの復活という事実を充分に検討し、それを確信しなかったなら、彼らの信
条の隅の土台石としてこれを用いるということはあり得ないことである。(しかも、これに係わる
人々は多勢であった。虚偽であったなら、多勢の人間の見解が一致するなどということはない
のである。)
 (ロ) もしイエスが復活なさらなかったなら、それについて何らかの証拠があるはずである。と
ころが、使徒達は、イエスが十字架につけられた当のエルサレムを絶えず行き来して、イエス
を殺した人たちに直面しながら、この著しい復活の事実を公言したのであった。けれども誰一
人その事実であることを覆す証拠を挙げたものはいなかった。反対者達がかろうじてなしえた
抗議といえるものは、墓守たちが眠っている間に弟子達が死体を盗んだのだという理由をつけ
ただけである。しかし、もし弟子達が本当に主の死体を盗んだのであったら、彼らはそれを熟
知しているわけであるから、その後の使徒たちの道徳的一大変化という事実が、どうして起こ
りうるであろうか。

(2) 安息日の変更
 安息日の変更は、何の公的な布令にもよらず、暗黙の了解によって行われたものである。そ
して新約聖書によれば、弟子達は一週の初めの日(つまり日曜日)に集会を開いていたのでっ
た。
 「週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。そのときパウロは、翌日出発するこ
とにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。」(使徒 20:7)
 「私がそちらに行ってから献金を集めるようなことがないように、あなたがたはおのおの、い
つも週の初めの日に、収入に応じて、手もとにそれをたくわえておきなさい。」(コリントT 16:2)

(3) 弟子達の変化
 全く失望していた弟子達が、いかなるものにも揺るがされることがない不撓不屈の勇気を得
るまで変化した。
<ペテロの例>「ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞
き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞
いたことを、話さないわけにはいきません。」」(使徒 4:19〜20)
「ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。・・」(使徒 5:29)
 このような突然で根本的な変化には、必ず理由があるものである。そしてキリストの復活の
事実こそ、この弟子達の変化を充分に説明しうるものなのである。
 使徒達がイエスの復活を信じたという明白な事実は、不信仰な学者やユダヤ人学者たちに
対しても彼らが否定することができないほど強い印象を与えた。
(イエスの復活に反対している)シュトラウスの如き人物も、「弟子達がイエスの復活を確く信じ
ていたという事だけは認めざるを得ない」といっている。(間省略)
これらの事実を承認することは、理性論者に対する致命的な打撃である。
(以下次号)

<今月の質問>
 イエス・キリストの復活について考えましょう。
・・イエス・キリストの復活が事実であることを聖書によって述べて下さい。
 



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