「同労者」第100号(2008年2月)                           目次に戻る

信仰良書

 神への道 (82)

 D.L.ムーディー 著   山田 大 訳

アブラハム・リンカーンの力強い宣言(つづき)
(前号より)信仰とは、心配そうに震えながら「信じます。不信仰な私をお助けください」(マルコ 
9:24)と言う声であり、確信とは、「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。・・・罪に定め
ようとするのはだれですか」(ローマ 8:33、34)という自信に満ちたチャレンジです。
 信仰とは、ダマスコのユダの家で、悲しみを帯び、目が見えず、孤独に祈っていたサウロ(使
徒 9:11)の姿であり、確信とは、年老いた囚人となり、静かに死を前にして「私は、自分の信じ
て来た方をよく知っており、・・・ 今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです」
(Uテモテ 1:12、4:8)と言うパウロの姿です。
 信仰とはいのちです。何と大きな祝福でしょう。誰が生と死の隔たりを言うことが出来るでしょ
う。しかしややもすると、いのちとは最後まで弱く、病的で、不健康で、苦痛と心配、疲労と辛さ
に満ちていて、喜びも笑顔もないかも知れません。
 しかし確信とは、いのち以上のものであり、健康、強さ、力、活気、活力、元気、雄々しさ、美
しさです。

 ある作家が「私は岩々から木々が生え出ているのを見たことがあります。それらは恐ろしい
断崖の上から吊り下げられるように生えており、傍には大きな滝が轟音を上げ、下には深い川
が流れていました。しかしそれらの木々はその位置に留まり続け、深い森の中に生えた場合と
同様に枝や葉を茂らせていました」と記しています。その岩が木々を安全に保っていた拠りど
ころであり、自然の作用が木々のいのちを支えていたのです。
 信仰者も天国への旅路において、しばしば非常に恐ろしい危険に晒されますが、彼らが永遠
の岩であられるお方に根付き、基礎を置く限り彼らは全く安全です。
 信仰者の主への拠りどころは彼らの保証であり、主の恵みの祝福は彼らにいのちを与え、
彼らをいのちの中に支えます。そして木が死ぬか岩が砕け落ちない限り、木と岩が離れ離れ
になることはないように、信仰者と永遠の岩との結びつきも、信仰者が霊的ないのちを失うか
永遠の岩が砕けてしまわない限り、解かれることはないのです。
(訳者 仙台聖泉キリスト教会 会員)




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