「同労者」第100号(2008年2月)                          目次に戻る

わかもん

私たちのために、重荷をになわれる主
山田 行

「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。」
(詩篇 68:19)


 2008年がはじまりました。今年も私が原稿を書き続けてもよろしいのでしょうか?と神様に
祈りながらパソコンの前に座っております。「同労者」も100回目を迎えるまでになったそうで、
この出版に大きな労を払い続けていらっしゃる野沢兄弟はじめ嘉納先生、スタッフの方々おめ
でとうございます。神の祝福が豊かであり益々多くの方々への福音の働きのために頑張ってい
ただきたいと願っております。私も神に救いをいただいた者としての証をこれからも感謝を持っ
てさせていただきたいと思います。ということで「今年もよろしくお願いいたします。」
 聖書には、人間が生きることは、神を賛美すること。私たちの口、全存在、全生涯をもって賛
美し続ける。それが与えられた大きな使命であります。しかし生活の色々な心配や悩み苦しみ
困難が取り囲んでいる時私たちは心から神を賛美できるのでしょうか?反対に不平不満に満
たされてつぶやいたり恨み言を言ったり、ため息ばかりの者になってしまいます。いつまで私
はこのような自分に縛られなくてはいけないのかと落ち込むこともあります。しかしこの御言葉
を書いた詩人もきっと同じ悩み苦悩を持っていたにもかかわらず、「ほむべきかな」と賛美して
いるのです。「重荷をになわれる方」私たちの罪も弱さも悩みも苦しみもになってくださる、とあ
るのです。神は本当に賛美されるべきお方なのに、しょってくださる、しもべのように担いでくだ
さるとおっしゃるのです。そのような方がいつも私たちのそばにいてくださることを御言葉を通し
て私に語ってくださいました。私は自分にある重荷の一つ一つをきちんと具体的に神に祈って
います。そして神にきちんとおゆだねいたしますと言葉に出して宣言します。心や思いを整理し
感情も静かに整えられていく幸いを感じています。今年もどのような中にあっても「主はほむべ
きかな」と賛美しながら乗り越える力耐える力を与えてくいただき歩んでいきたいと願っていま
す。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)



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