「同労者」第101号(2008年3月)                           目次に戻る

ショートコラム ねだ

 なほさあんべ
 

 表題は、筆者の田舎で使われていた会話ことばである。
 先頃、「会津地方の方言辞典」ができたとマスコミで報じられていたが、私の田舎は、こういう
言葉である上、発音も東京語とはかなり違うので、関東人である父はよく「異邦(ことくに)のこ
とばで話しだされたようだった」(使徒の働き2章の引用)と言っていたが、確かに辞書なしには
通じないことばであった。
 それをただ普通に使っていただけであったが、高校の古文の授業や、文語聖書に慣れ親し
んでから、子供の頃使っていたことばは古語だったと、ふと気づいた次第である。
 すこし前に、上海に行く機会があったが、そのとき現地の食堂のウェイトレスさんたち、話言
葉は通じなくても、日本人が使う漢字は読めるので、筆談で用が足りた。中国では日本より徹
底して漢字を簡略化してしまったため、日本人に中国文字が読めなくなったが、中国人にして
みれば、日本人の使っている漢字は彼らの文字に過ぎないのだから、当然といえるが。
 さて、表題のことばに漢字を入れるとこうなる。
「な」は「汝」
「ほ」は「方」
「あん」は「行」・・行脚(あんぎゃ)と同じ読みである
「汝 方さ 行べ」
こう書けば、意味が通じることであろう。
「あなたの 方(家)に 行こうよ」
ただし、方はそのときの話の状況で何であるかが変わる。
 わたくしは「我」だが、これを「が」という。
「俺(おれ)とか私(わたくし)の 方に 行こうよ」
なら、
「がほさあんべ」となる。
「われ」というと、自分を指すこともあるが、相手をさすことが多かった。
芥川龍之介の「トロッコ」に、土方たちにトロッコに乗せてもらった主人公の良平が、夕方遅くな
って「われはもう帰んな」と言われたくだりがあるが、その「われ」の使い方が「がほ」(我方、私
の田舎)でも使われていた。
 今は、文語聖書を使わないで育った世代になった。明治から昭和初期にかけて、日本にリバ
イバルの時代があったが、リバイバルが起きるということは、優秀な人材を輩出したということ
でもある。当時の日本人クリスチャンの著作や、訳本に良いものが多数あるが、文語聖書を使
わない世代の人々には、もう馴染めないようだ。源氏物語では手が出ないが、候文(そうろうぶ
ん)くらいなら読める。現代語に翻訳して提供したいものだと思うこの頃である。





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