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          「同労者」第101号(2008年3月)
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          ・エリシャ
           
          
           予言者というと真っ先に思いつくのがエリヤとエリシャの名前です。今回はエリシャについて
           
          二つのことを取り上げたいと思います。 
           そのひとつは彼の予言職への召命のできごとで、もうひとつはエリヤの後継者に任じられた
           
          時の出来事です。 
           エリシャは、神がエリヤに対し名指しで「あなたに代わる予言者とせよ」(列王記T 19:16)と、
           
          言われた人物です。 
           ダビデについて神が「私のために、王を見つけた」(サムエル記T 16:1)と言われたとき、彼は父
           
          の羊を飼っている人「羊飼い」でした。彼について、「主はサムエルに仰せられた。『彼(ダビデ の兄)の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見な いからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。』」(サムエル記T 16:7)と、神が言われたことによ って、神が彼を見つけた理由は、「ダビデの心」にあったことが示されています。エリシャについ ては、神がお選びになった理由は何も記されていませんが、ダビデ同様、神は「エリシャの心」 を見られたことは疑う余地がありません。彼はその時、畑を耕している人「農夫」でした。もちろ ん、羊や牛も飼っていたことでしょう。 
           エリヤが彼のところに来て、預言職への召命を示したとき、彼の心の内にあったものが明ら
           
          かになりました。 
          「エリヤはそこを立って行って、シャファテの子エリシャを見つけた。エリシャは、十二くびきの牛
           
          を先に立て、その十二番目のくびきのそばで耕していた。エリヤが彼のところを通り過ぎて自 分の外套を彼に掛けたので、エリシャは牛をほうっておいて、エリヤのあとを追いかけて行って 言った。『私の父と母とに口づけさせてください。それから、あなたに従って行きますから。』エリ ヤは彼に言った。『行って来なさい。私があなたに何をしたというのか。』エリシャは引き返して 来て、一くびきの牛を取り、それを殺し、牛の用具でその肉を調理し、家族の者たちに与えて それを食べさせた。それから、彼は立って、エリヤについて行って、彼に仕えた。」(列王記T 19:19〜21) 
           牛は馬のようなスピードはありませんが、馬と同様に強いのです。当時の牛による耕作がど
           
          のようなものか、よく分かりませんが、12くびきの牛を使って耕していたのですから、大型トラク ター並みです。深く耕した、良好な、広い農地であったことをうかがわせます。彼はきっと豊か な生活をしていたことでしょう。彼には父母はじめ家族の人々がおり、幸せな生活をしていたよ うに感じられます。 
           エリヤが外套を彼に掛けたとき、彼は予言職に召命されたことを理解しました。そして彼はた
           
          だちに、この世を捨てて、その召命に応えました。それはこの世からの「分離」を意味していま す。彼はこの世の豊かさを味わっていましたが、彼の心はこの世から分離していたことでしょ う。神はそれをご覧になって、彼を選ばれたことでしょう。彼の召命に応えた方法は、表面上は 世の職業をやめることと家族との別れでした。しかしこの世からの分離は、修道院に入るよう な仕方で分離するのではありません。この世に生きながら、この世から分離しているのです。こ れが預言者に求められる重要な資質であることがここに示されています。 
           神はキリスト者に対してこう言われます。「信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。
           
          神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言わ れました。『わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民 となる。それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触 れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父とな り、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。』」(コリントU 6:15〜18) 
           この世の汚れに触れず、この世から分離していること、それが「キリストの人」である私たちに
           
          も求められているわけです。 
           エリシャについてふたつめに取り上げることは、はじめに述べたとおり、彼はエリヤの後継者
           
          となったということです。 
           エリヤと同じ道を歩んだのではありませんでした。エリヤがお取り扱いを受けた後の「エリヤ
           
          の神」が彼の神でした。 
           彼は、乾いた地、みことばの飢饉であるイスラエルにあって、嵐を巻き起こすような働きはし
           
          ませんでした。彼の神は「かすかな声で語る神」でした。 
          「話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。 しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのこ
           
          とばは、地の果てまで届いた。」(詩篇 19:3〜4)ような働きをしました。エリシャは竜巻に乗って 生きたまま天に凱旋したエリヤを見、エリヤの後継者に任じられたとき、エリヤに対して「わが 父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち」(列王記U 2:12) と叫びましたが、彼自身に対し、 その死の床で、イスラエルの王ヨアシュが「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち」(列 王記U 2:12) と叫びました。彼がイスラエルの守りであったことが示されています。 
           彼によって「彼(ナアマン)はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」(列王記U 5:8) 
           
          という働きがなされました。これは、預言者を任じた「神がおられることを知るでしょう」というこ とであって、事実ナアマンはイスラエルに神がおられることを知りました。預言職の継承はなん とすばらしいものをもたらしたことでしょう。キリスト者の信仰の継承も同じです。 
          (以下次号)
           
          
          (仙台聖泉キリスト教会員)
           
          
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