「同労者」第101号(2008年3月)                          目次に戻る

わかもん

隣人へ伝えるもの
山田 行

「自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。」(ルカ 6:31)


 毎日寒い日々が続いています。何か心までさむ〜くなりそうな落ち込んでしまうような気にな
ります。季節とかお天気とかそういうのも私たちの生活に随分影響するものですね。
しかし、もうすぐ春ですよ!そう思うと今の寒さも、我慢できるのですね。
 さて、私の子供たちも今年は中学3年と中学1年生にそれぞれなります。小さい時のように手
はかからなくなり少しはほっとできるかと思えば、成長に応じてそれぞれに課題があり、親とい
うものはどんな時でも心配が耐えないのだなと感じます。考えてみれば私の親も70歳過ぎても
未だに私たち子供たちのこと、孫たちのことにいたるまで心配している姿をみます。このように
いくつになっても親というのは子供を愛し心配しつづけるのだと思います。自分が親になってみ
ると、人格を育てるという大事業をとおして私自身も育てられていることを痛感します。

                    

 子供たちもそれぞれ自分の意志を持ちはじめ多くの関わりの中でもまれています。日々の顔
つきもニコニコしていたり、ふさぎこんでいたり、落ち込んでいたり、疲れていたり、いちいち「ど
うしたの?何かあったの?」と質問攻めも嫌だろうなと思いそっとしていることもあります。娘
は、いっぱいいっぱいになると私に喋りまくります。それを「うん、うん、」と聞きます。そんな事
言っちゃだめ、とか私のコメントはなるべく言わないようにして、まず聞く・・・・忍耐、忍耐。する
と案外娘はすっきりした顔をして、「またがんばるね」といって穏やかになることが最近多いの
です。私に似ているな〜と思います。私も若い時から父や母に自分の怒りや逆に喜びを一方
的に話してすっきりする方法をしてきたからです。特に母は、忙しい時でも、よく付き合ってくれ
たものです。安心して自分の話を聞いてくれる人がいるというのは本当に幸いなことです。これ
は子育ての技術の話で、もちろん子供の話の中に訂正したり罪に定めたり叱ったりする要素
があればそれをしなくてはいけないのですが、それを仕出すと一切子供は話さなくなることもあ
ります。どちらにしてもまだ子供だから、小さいから大丈夫とかまだ分からないのではというの
は決してないと思うのです。大人と同じように悩んだり迷ったり怒ったり悲しんだりしているのは
事実なのです。だから子供も心の整理やすっきりするという感覚が必要だと思うのです。
 私も今月は、いろいろなことがあり心が晴れない時がありました。もちろん祈りもするし、聖書
も読みますがどうしても力が出ない思いがありました。久しぶりに私1人で父や母のところへ帰
るときができて3人でゆっくり話すことが出来ました。私のことをべらべらと話すのですが、変わ
らずに「うん、うん。」と聞いてくれました。そして「もっと頑張んなさい」、「ここを直しなさい」でも
なく私の健康を心配してくれて、「祈っているから」と優しく言うだけでした。母は私を地下鉄の
駅まで送ってくれました。それが自分の心を癒し自然に心の整理をしていることに気がつきまし
た。これが、カウンセリングの力なのでしょうか?間違いなく神の愛の温かさでありました。どち
らにしましても安心して聞いてもらえる人を持つことは子供でも大人でも関係なく大切なものだ
と思います。私は両親からの愛は神の愛であると小さな時から思っているので今も神の愛は
豊かであることに感謝しています。上記の御言葉のように親にしてもらった数々の愛の行為、
教会の方々の温かい愛に対して私が何度も助けられたように神の愛の深さ広さそして温かさ
を伝えるものとして子供たちに、教会の方々に同じようにしていけたらと願います。
(仙台聖泉キリスト教会 会員)





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