「同労者」第6号(2000年3月)   紙上メッセージに進む 目次に戻る 聖書研究に戻る

本・讃美歌の紹介

 −インターネットのホームページに次のような一文が載せられていましたので、その一部をご
紹介します。(先月号のつづき)−


− 奉 仕 の 備 え (3) −

D.L.ムーディー


「もちろん、私はペンテコステの日に聖霊がおいでになったことを知っている。しかし、聖霊は不
思議な力の中においてのみ臨まれたのであって、今日の私たちにはその時のようなことを得ら
れる保証はない。」と主張する人々の一群があります。
 もしもあなたが使徒の働き4章に戻ってみるならば、あなたはこの素晴らしい働きが、ペンテ
コステの日の後にも起きていることをきっと見いだすでしょう。
 ペテロとヨハネは投獄され、サンヒドリン(議会)の前にひきだされました。議会はあえて彼ら
を石打ちにして殺すことをしませんでした。なぜなら非常に多くの回心した若者がいたからで
す。そこで彼らは、ペテロとヨハネにこう命じました。「さて、お前たちは、神殿でもお前たちの望
むどこででも説教してよろしい。しかし、一つの条件下のみにおいてである。―――この人の名
において宣べ伝えてはいけない。」
 使徒達はサンヒドリンを立ち去り、他の弟子たちのところへいきました。彼らは集まって小さ
な祈りをささげました。その結果はどうだったでしょう?「その集まっていた場所が震い動き、一
同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。」
 使徒の働き2章にはこう述べられています。「すると、みなが聖霊に満たされ…た。」そしてこ
こ、使徒の働き4章でも、再び「一同は聖霊に満たされ…た。」と述べられています。彼らは自
分たちの一度得ていた力を失っていたのか、あるいははじめに得ていた力よりももっと大きな
能力を得たのかどちらかです。――私にはどちらか分かりませんが。非常に多くの人々が5年
前に力を持っていましたが、今それをもっていません。彼らはその力を奪われたサムソンのよ
う、あるいは古い破れた網で漁をする漁師のようです。
 もう一度よく見てごらんなさい。およそ10年後に、ペテロはカイザリヤに行ってコルネリオに
語り、彼とその家の人々が救われました。ペテロが説教している間にどんなことが起こったでし
ょうか。「みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。」それはペンテコ
ステの日からおよそ10年後のことでした。そしてそのとき、彼らは聖霊の特殊な賜を受けたの
です。
 私は、この建物に満ちている男たちも婦人たちも、ペンテコステの力を期待できると堅く信じ
ています。私たちはそれを得ようではありませんか。もしこの建物が聖霊に飢え渇いている男
女で満ちているなら、この場所は震え動き、その影響力はこの国にとどまらず、遠く異国の地
にまで及ぶと私は信じています。そのとき、全世界に福音が行き渡るのに、そう長い時を要さ
ないことでありましょう。ペンテコステの日から10年と、10年のことを話しました。しかし、神の
教会が聖霊のバプテスマを受け、活力を与えられるならば、10年とかからないことでしょう。

 聖霊に満たされたこれらの人々が直ちにイエス・キリストの証詞を始めたことに注目して下さ
い。エリサベツは、処女マリヤが訪問したとき、「聖霊に満たされ」て、いままさに来ようとしてお
られる主について語りました。ザカリヤもまた「聖霊に満たされて」メシヤについて記してある聖
書を引用しました。ステパノは「聖霊に満たされて」、会堂の人々が「彼が知恵と御霊によって
語っていたので、それに対抗することができなかった。」ところの油注ぎを受けました。彼がキリ
ストの証詞をしている間、素晴らしい神の力が彼の上にありました。ペテロは「聖霊に満たされ
た」とき、出ていって、彼がかつて助けることの出来なかったキリストを説教しました。新約聖書
全体を通して、私たちに告げられていることは、使徒たちは繰り返し「聖霊に満たされた。」とい
うことです。そして彼らが説教したとき、多くの人々が教会に加えられたのです。私たちが奉仕
のための力を受け取ることができるように祈ろうではありませんか。私たちが「贖いの日まで封
印された」力のみで満足してしまわないようにしようではありませんか。主のために偉大なこと
をすることができる、上よりの力に浸されるように祈ろうではありませんか。
 私たちが行っている働きが、神が私たちになさせておられる働きであるかどうかを知ることが
大切なのです。私はカーク博士がシカゴにやってきたとき、彼のかつての力が彼の上に再び臨
み、あの町に衝撃を与え、それが震い動かされるのを見ました。もしかれがあの町に滞まった
なら、何千人もの人々が悔い改めたことであったろうと私は思います。市長をはじめ町の指導
者達がみな彼の説教を聞きにやってきて、かれらはこう言いました。「このような説教を聞くこと
ができるのであったら、私たちは喜んで聞きます。」私はあの方こそ伝道者であると信じます。
しかし、彼は自分の牧会の仕事に戻っていきました。やもめと親のいない子供たちの訪問に戻
って行ったのでした。それは大切な働きです。しかし、他の人でもそれをすることができます。
ある人には一つの賜物が与えられていますが、他の人はそうではありません。ある人には牧
会者としての賜物を与えられており、また他の人には伝道者としての賜物が与えられます。そ
れはキリスト者を奮起させる特別な賜物です。

 「私は正しい場所にいるであろうか?私は、神が私に為せと言われていることを行なっている
か?」と、すべての方々が自問なさい。もし私たちがそうするならば、たくさんの聖職者が生ま
れることでしょう。あなたは備えができていますか?――繋がれている結びを切る備えが。私
がシカゴにいたとき、私は周辺のいなかをめぐり毎夕説教するのが常でした。しかし、私は大
いなる誤りをしていたと思います。それは私の日常の仕事をし過ぎたということです。私がいな
かにいる間、次から次へと何百もの求めがありました。そして日曜日の夜の自分の本拠地で
ある自分の町における説教のために急いで戻らなければなりませんでした。そのため、恐らく
私自身は空を打つようなものになってしまっていたでしょう。
 どこにでも行く備えをしていましょう――主がお呼びになるどこにでも。

 もしあなたがこの神に仕える力を望まれるなら、きっとそれが与えらるでしょう。「私はここに
おります。あなたの喜ばれるどこにでも私をお遣わし下さい――私にただ魂(罪人たちの救い)
のみをお与え下さい。イエス・キリストのために魂を勝ち取る力を私に下さい。」とだけ言いなさ
い。それが私たちの思い浮かべる第一のことであったら主は私たちを失望させなさることはな
いでしょう。「私たちすべてのために、ご自分の御子さえ惜しまずに死に渡された方がどうして
御子と一緒にすべてのものを下さらないことがありましょう。」もしも神が御子を私たちにお与え
になったのでしたら、聖霊をお与えになることを差し控えなさるでしょうか。「あなたがたが多く
の実を結ぶ…ことによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。」あなたは一晩中網を
打ち、何も得られなかったのですか?船の右側に網をおろしなさい。さあ、友よ、あなたはどこ
へでも行く備えができていますか?あなたはこう言うことができますか?「主よ。私をあなたの
望まれるところどこへでもお遣わし下さい。――この私を。私の上にあの力が臨み、イエス・キ
リストのために魂を勝ち取ることができますように。」と。神のその素晴らしい御心が、必ずしも
私たちにとって望ましいことではないかも知れません。おゝ。私たちの望みが神の御心に飲み
込まれますように。もしも、ガブリエルが私に自分の望み通りに休みを取るようにと言ったとし
ても、私はそれを取らないと思います。私は未来のことをすっかりは知りません。私はこう祈り
ます。「私の心でなく、あなたの御心のままにして下さい。」私たちはみな、主が走ることあるい
は立ち止まることを望まれたら、走りあるいは立ち止まる備えができているでしょうか。私たち
は、次のように言えるでしょうか。「主よ。ここに私たちがおります。私たちをとり、――私たちを
取り――私たちを満たし、――私たちをお使い下さい。」と。私は自分の心をよく知っています
が、私は力なしに生きるくらいなら、死んで葬られた方がましだと思っています。あゝ、人が自
分のタラントを離れた生活をしているとは――もはや主の用に役立たない器としてわきに放置
されているとは、なんと悲しむべきことでしょう。多くのキリスト者たちが、神は、かつてのよう
に、自分たちを用いることがおできにならないと思っています。神は(ペンテコステの)1年後あ
るいは5年後には多くの力に満ちた子らをもっておられたが、今はそうではないと思っているの
です。
 神は何と彼らを用いたいと願っておられることか! あゝ、私は心の奥底から祈ります。「私
のいのちの日の限り聖霊に満たされていることが許されますように。」と。私たちがこの上より
の力に満たされるよう祈ろうではありませんか。そして、いつも備えをしていましょう。――何に
でもお使い頂ける備えを。    (完)



  父よ。いまわれに
      (インマヌエル讃美歌 320)

1.父よ今われに 御霊を注ぎ
  新しき人と ならしめたまえ

(折り返し)
  父よ我に御霊を満たし
    恵みの器と ならしめたまえ

2.奇しき光もて 心を照らし
  御旨を正しく 知らしめたまえ

3.憂うる時には 我を慰め
  すべての悩みに 勝たしめたまえ

4.恵みの御手もて 我を導き
  天なる御国に すすませたまえ




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