「同労者」第6号(2000年3月)
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書、詩篇第3篇3節、5節。「あなたは私の回りを囲む盾、私の栄光、そして私のかしらを高く上 げて下さる方です。…私は身を横たえて、眠る。私はまた目をさます。主がささえてくださるか ら。」
ある人が画家の許を訪ね、そして頼みました。「私に、平安とは何か。平安を教える絵を描い
て下さい。」程なく画家は大きな一枚の絵を描いて持ってきました。その絵は激しく落ちる滝壺 の水しぶきを浴びながら揺れる小枝に、一羽の小鳥がとまっている絵でした。その人は感激し て言いました。「これこそ平安そのものの絵だ。ありがとう。ありがとう。」と。
本当の平安とは、お金の心配も体の心配もない無事平穏な生活の中にあるのではなく、そ
の絵のように轟々とすさまじい音と量の水の落下する滝壷に伸びている一本の細い小枝に身 を委ねて休んでいる小鳥の姿の中にあります。「私は身を横たえて眠る。私はまた目を覚ま す。主がささえてくださるから。」とダビデは歌いました。
天地の創造者また支配者であられる神の大きな手の中に自分を委ねることです。信仰とは
委せる平安を言います。
昨年の丁度今頃、私は入院し大きな手術を待っていました。いよいよ手術室に入る時、妻と
三人の子供と写真を撮りました。或いは最後かも知れないという、かすかな思いが脳裡を横切 ったからでした。
主治医から「もし癌だったら知らせてもよいか。」と聞かれた時も私は不思議なほど平安な心
で「どうぞ隠さないで言って下さい。」と申しました。「私は身を横たえて眠る。主がささえてくださ るから」。
九時間に及ぶ手術から目覚めた時、証詞として申し上げるのですが、私には何の不安、心
配もなく神と医者に委せ切って平安の中にありました。平安はすべてを神の手に委ねる者に与 えられる神の祝福です。
手術の結果、やはり癌細胞が発見され、向こう五ヶ年間、抗癌剤と月二回の定期検診を命
ぜられ、今なおそれを続けております。
平穏の中での平安は誰でも出来ます。然し神の下さる平安は嵐の中で主に委ねる時与えら
れる天的平安、信仰の平安なのです。 |