「同労者」第6号(2000年3月)        証詞に進む  目次に戻る  論説に戻る

Q&Aルーム

 信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてく
ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開
してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。
質問の送付先は
             仙台聖泉キリスト教会 山本嘉納牧師まで
                   TEL:022-266-8773
                   FAX:022-266-8773(TELと同じ)
                         E-mail 

 前月の質問に対して皆さんお考え頂けましたでしょうか。今回も回答例を載せてみますので、
自分の答えと比較してみてください。 

 前号の質問に対する回答
1.「悔い改め」(マタイ3:2)とは何ですか
(回答)
 このような問題に対する、聖書の答えを見いだすためには、二つの視点から聖書を調べると
よいのです。第一は直接聖書がそのテーマに対して言及していることを調べることです。第二
はその内容に該当する事例、この場合には悔い改めた人の例を探し、その人物がどのように
行ったか、その内容は何かを考察することです。その人が例話、たとえ、事例の引用などとし
て聖書自体に取り上げられている場合もありますが、これも第二の例と見てよいでしょう。
 第一の例は以下のような聖書の記述に見られます。
「イスラエルの家よ。…悔い改めて、あなたがたのすべてのそむきの罪を振り捨てよ。不義に
引き込まれることがないようにせよ。あなたがたの犯した罪をあなたがたの中から放り出せ。
わたしは、だれかが死ぬのを喜ばないからだ。――神である主のみ告げ。――だから、悔い
改めて、生きよ。」(エゼキエル18:30〜32)
「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ4:17)
「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるためにきたのです。」(ル
カ5:32)
「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、他のどのガリラヤ人よりも罪深い人たち
だったとでも思うのですか。そうではない。…あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように
滅びます。」(ルカ13:2〜3)
「神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、
ご自身の右にあげられました。」(使徒5:31)
「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ。」(使徒11:18)
「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:10)
 第二の例には以下のようなものがありますが、神に受け入れられた悔い改めと、受け入れら
れなかった悔い改めがあります。ですから、なぜそのように分かれるのか、よく考える必要が
あります。
「さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところへ出て行
き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。」(マタイ3:5〜6)
「ダビデはナタンに言った。『私は主に対して罪を犯した。』」(サムエルU12:13)
「しかし、悩みを身に受けたとき、彼(マナセ)はその神、主に嘆願し、その父祖の神の前に大
いにへりくだって、神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ…」(歴代33:12〜13)
「私(ヨブ)は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。」(ヨブ42:6)
「ヨナは魚の腹の中から、彼の神、主に祈って、言った。『私が苦しみの中から主にお願いする
と…』」(ヨナ2:1〜9)
「サウルは言った。『私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民と長老とイスラエルの前
で私の面目を立ててください。』」(サムエルT15:30)
 そのほか多数の事例がありますが省略し、悔い改めとは何なのか整理してみましょう。
 悔い改めは罪人がします。先月号で説明した認罪が罪人を悔い改めに導くのです。悔い改
めは、神が人に救いをお与えになるとき、人間の側ですることなのです。そして、悔い改めなし
に救われたという事例はほとんど見つかりません。つまり、悔い改めた人が救われるのです。
悔い改めは、自分の罪を認め、その罪を告白する事が中心です。真の悔い改めをすると、聖
霊がその人を助けて、その罪から離れることをさせて下さるのです。自分が悔い改めている罪
を離れない場合は、神に受け入れられない悔い改めになります。
 あなたの悔い改めはどのようなものであったでしょうか。
 真の悔い改めをし、イエス・キリストの贖いを信じると、神はその人の罪を赦し、その人を義と
認めて下さるのです。これを義認といいます。悔い改めない人々は、すべて滅びるのです。

2.「悔い改めの実」(マタイ3:8)とは何ですか
 この問題を考えるために、バプテスマのヨハネの勧めに注目してみましょう。
「『それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。』…群衆はヨハネに尋ねた。『それ
では、私たちはどうすればよいでしょう。』彼は答えて言った。『下着を二枚持っている者は一つ
も持たない者に分けなさい。』…ヨハネは彼ら(取税人たち)に言った。『決められたもの以上に
は、何も取り立ててはいけません。』…ヨハネは彼ら(兵士たち)に言った。『だれからも、力ずく
で金をゆすったり、無実の者を責めたりしてはいけません。』…」(ルカ3:8〜14)ここでヨハネは単
純に罪を犯さない普通のことをせよと勧めています。
 ザアカイの場合はこうでした。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施しま
す。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」(ルカ19:8)
彼の罪は、不正な取り立てでした。ですから、"四倍にして返す"というのです。彼の結実は一
層積極的でした。並の人では取税人の頭にはなれないでしょう。当然官吏としての才能もあっ
たでしょうが、富への執着もあったはずです。彼の罪の根源は「貪欲」にあり、彼は富を蓄えた
と推察されます。「自分の財産の半分を貧しい人たちに施します。」彼はその貪欲からも解放さ
れたのです。
 以上の例から、「悔い改めの実」とは次のようなものであると判断できます。それは、まず、人
に対して犯した罪がある場合、その人に対して謝罪をし、償いをすることです。そして罪を離れ
た生活をすることです。
 よく認識しておかなければならないことは、「悔い改めの実」とは神に対して結ぶ(行う)ので
はなく、人に対して結ぶ(行う)ことであることです。「盗んだこれこれを、謝って返してきました。
…」と証詞して下さる兄姉がいますが、それが悔い改めの実です。「実を結ばないものはみな、
父(神)がそれを取り除き…ます。」(ヨハネ15:2)と書かれていますから厳粛です。

質問
今月も質問をしますから、考えてみてください。
1.前号の質問1.の回答例に、「義認」ということばがありますが、これを説明してください。



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