信仰生活のこと、教理上の疑問など様々なことについて、誰かに聞いてみたいことがおきてく
前月の質問に対して皆さんお考え頂けましたでしょうか。今回も回答例を載せてみますので、
ると思います。教会の先生に伺うことは勿論一番ですが、それを独り占めしないで、すこし公開 してください。それを皆で考えると、きっと皆さんにとって益になると思います。 質問の送付先は 仙台聖泉キリスト教会 山本嘉納牧師まで TEL:022-266-8773 FAX:022-266-8773(TELと同じ) 自分の答えと比較してみてください。 前号の質問に対する回答 1.「悔い改め」(マタイ3:2)とは何ですか (回答) このような問題に対する、聖書の答えを見いだすためには、二つの視点から聖書を調べると よいのです。第一は直接聖書がそのテーマに対して言及していることを調べることです。第二 はその内容に該当する事例、この場合には悔い改めた人の例を探し、その人物がどのように 行ったか、その内容は何かを考察することです。その人が例話、たとえ、事例の引用などとし て聖書自体に取り上げられている場合もありますが、これも第二の例と見てよいでしょう。 第一の例は以下のような聖書の記述に見られます。 「イスラエルの家よ。…悔い改めて、あなたがたのすべてのそむきの罪を振り捨てよ。不義に 引き込まれることがないようにせよ。あなたがたの犯した罪をあなたがたの中から放り出せ。 わたしは、だれかが死ぬのを喜ばないからだ。――神である主のみ告げ。――だから、悔い 改めて、生きよ。」(エゼキエル18:30〜32) 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ4:17) 「わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるためにきたのです。」(ル カ5:32) 「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、他のどのガリラヤ人よりも罪深い人たち だったとでも思うのですか。そうではない。…あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように 滅びます。」(ルカ13:2〜3) 「神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、 ご自身の右にあげられました。」(使徒5:31) 「それでは、神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ。」(使徒11:18) 「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:10) 第二の例には以下のようなものがありますが、神に受け入れられた悔い改めと、受け入れら れなかった悔い改めがあります。ですから、なぜそのように分かれるのか、よく考える必要が あります。 「さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネのところへ出て行 き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。」(マタイ3:5〜6) 「ダビデはナタンに言った。『私は主に対して罪を犯した。』」(サムエルU12:13) 「しかし、悩みを身に受けたとき、彼(マナセ)はその神、主に嘆願し、その父祖の神の前に大 いにへりくだって、神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ…」(歴代33:12〜13) 「私(ヨブ)は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。」(ヨブ42:6) 「ヨナは魚の腹の中から、彼の神、主に祈って、言った。『私が苦しみの中から主にお願いする と…』」(ヨナ2:1〜9) 「サウルは言った。『私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民と長老とイスラエルの前 で私の面目を立ててください。』」(サムエルT15:30) そのほか多数の事例がありますが省略し、悔い改めとは何なのか整理してみましょう。 悔い改めは罪人がします。先月号で説明した認罪が罪人を悔い改めに導くのです。悔い改 めは、神が人に救いをお与えになるとき、人間の側ですることなのです。そして、悔い改めなし に救われたという事例はほとんど見つかりません。つまり、悔い改めた人が救われるのです。 悔い改めは、自分の罪を認め、その罪を告白する事が中心です。真の悔い改めをすると、聖 霊がその人を助けて、その罪から離れることをさせて下さるのです。自分が悔い改めている罪 を離れない場合は、神に受け入れられない悔い改めになります。 あなたの悔い改めはどのようなものであったでしょうか。 真の悔い改めをし、イエス・キリストの贖いを信じると、神はその人の罪を赦し、その人を義と 認めて下さるのです。これを義認といいます。悔い改めない人々は、すべて滅びるのです。 2.「悔い改めの実」(マタイ3:8)とは何ですか この問題を考えるために、バプテスマのヨハネの勧めに注目してみましょう。 「『それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。』…群衆はヨハネに尋ねた。『それ では、私たちはどうすればよいでしょう。』彼は答えて言った。『下着を二枚持っている者は一つ も持たない者に分けなさい。』…ヨハネは彼ら(取税人たち)に言った。『決められたもの以上に は、何も取り立ててはいけません。』…ヨハネは彼ら(兵士たち)に言った。『だれからも、力ずく で金をゆすったり、無実の者を責めたりしてはいけません。』…」(ルカ3:8〜14)ここでヨハネは単 純に罪を犯さない普通のことをせよと勧めています。 ザアカイの場合はこうでした。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施しま す。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」(ルカ19:8) 彼の罪は、不正な取り立てでした。ですから、"四倍にして返す"というのです。彼の結実は一 層積極的でした。並の人では取税人の頭にはなれないでしょう。当然官吏としての才能もあっ たでしょうが、富への執着もあったはずです。彼の罪の根源は「貪欲」にあり、彼は富を蓄えた と推察されます。「自分の財産の半分を貧しい人たちに施します。」彼はその貪欲からも解放さ れたのです。 以上の例から、「悔い改めの実」とは次のようなものであると判断できます。それは、まず、人 に対して犯した罪がある場合、その人に対して謝罪をし、償いをすることです。そして罪を離れ た生活をすることです。 よく認識しておかなければならないことは、「悔い改めの実」とは神に対して結ぶ(行う)ので はなく、人に対して結ぶ(行う)ことであることです。「盗んだこれこれを、謝って返してきました。 …」と証詞して下さる兄姉がいますが、それが悔い改めの実です。「実を結ばないものはみな、 父(神)がそれを取り除き…ます。」(ヨハネ15:2)と書かれていますから厳粛です。 質問 今月も質問をしますから、考えてみてください。 1.前号の質問1.の回答例に、「義認」ということばがありますが、これを説明してください。 |