「同労者」第7号(2000年4月)  ショートコラムねだに進む  目次に戻る  聖書の植物に戻る

聖書講義

昨日のサムエル記(その6)

仙台聖泉キリスト教会 牧師 山本嘉納

 私の祖父は佐渡の出身である。ここは昔、刑務所だったところだ。島流しされて幕府のため
に金を掘らされ、苛酷な労働のために生きて帰れるものは少なかったようである。記録がある
わけではないので確かなことではないが自分は犯罪者の末裔かもしれない。佐渡に送られた
のは主に政治犯だったようであるから、自分が反主流的な要素を大いに持っているのはその
血に原因があるかもしれない。祖父が元気だった頃、一緒に佐渡の海で遊んだことは忘れら
れない思い出である。あっと言う間に素もぐりで大きいあわびを取ってきてくれた。その場でむ
いて海水で洗ったやつを丸かじりさせてもらったあの味は、二度と巡り合えない最高のものだ
った。祖父の人生の多くを知っているものではないが、一人の人がキリストと出会い救いを受
け、その生涯をひたすら歩み続ける時にキリストの救いがもたらした多くの祝福は、今もその
信仰を受け継いだものに豊かであることを感謝する。もし彼がキリストを受け入れなかったら、
果たして今の自分に救いはもたらされたであろうか。聖書にも歴史にも、もしは存在しない。エ
ステル記に書かれているように「もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、
助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。」(エステ
ル4:14) 神は、別な道を備えてくださり助けと救いを与えてくださると信じる。しかし、だからと言
って先人達の働きが無意味だったのではない。よくぞ選び取った信仰の道なのである。
前回の話は、サウル王がヤベシュ・ギルアデの人々の危機に対してイスラエルを率いて立ち上
がった所まで書いた。ギルアデの人々(彼らもイスラエル人)とサウル王の出身の町ベニヤミン
族のギブアとは特別な関係にある。士師記21章にそのことが書かれている。サウル王のルー
ツはギルアデにあったのである。アモンの王ナハシュはここを読む限り戦略家と言うよりは政
略家であった。本気でぶん殴るよりぶん殴るふりをして相手を脅し従わせるタイプであった。相
手に十分な時間を与えた降伏交渉はイスラエルの現状をよく調べて得た情報による無血開城
のシナリオであった。もし、サウル王がこの時立ち上がらなければ敵の思惑通りになっていた
に違いない。それには神の大きな皮肉が含まれている。もし、当時のイスラエル人が真の神、
主を信じてその生活を少なからず営んでいたなら敵の調査した情報の中にイスラエルは弱くと
も一度、神の号令で立ち上がると恐ろしい力を発する可能性があるとの一文が加えられたで
あろうからである。しかし、この時のイスラエルにはそのかけらも無かった様で、アモン人は過
去の歴史を振り返ることもせずにイスラエルに対する勝利を確信した。この数十年前にエフタ
と言う士師が同じアモン人からの言いがかりによる宣戦布告に武力で立ち向かった経緯があ
る。その時も見事イスラエルは、勝利を収めている。今回は、士師ではない「王」が彼らの先頭
にたって進んでくれる。イスラエルの期待は、この確信と勇気に満ちたサウルに注がれた。人
の強さ、弱さは状況によって大きく変わるものである。特に心理的要因に起因する部分が大き
い。恐れは人を著しく弱くするものである。パニックは人の思考能力を停止させ、不可解な行
動を起こさせる。この時代、否全ての時代の戦争において戦う気力、勇気を保持し、戦う意
義、正義等を正しく見極めた者のみがその責任を果たしえる。勝利を確信していたナハシュの
正規軍が、サウル王に招集されとりあえず武器になるようなものを持ち寄って集まったイスラエ
ル軍に打ち負かされたのは不戦勝を決め込んでいた油断が生んだ大どんでん返しであった。
私はアメリカで不思議な体験をした。神学校の勉強の一環として未信者に対する布教活動に
アメリカ陸軍の学校へ遣わされた。その時は神学校のアメリカ人以外の生徒が数人出掛けて
行った。担当の将校らしい人について行った所は大ホールで、数千人の陸軍学校の生徒が集
まっていた。一人一人紹介され一言コメントを求められた。渡米して間もない私は、ろくに英語
が話せないでいたのでこの窮地に、中学でもっときちんと英語を勉強しておくべきだったと本気
で後悔した。しかし、後の祭りである。仕方ないのでできる範囲でスピーチした。I cannot 
speak English very well. But I love America.恥ずかしいことにこれだけである。しかし、驚いた
ことにそれまで静かだったホールに歓声が起こった。退場する時、多くの生徒が私の所に来て
握手をしてくれた。彼らは母国を愛し、もしそのために命を掛けなければならなくなっても愛す
る家族や恋人、友人のために戦う意義を教えられていたのである。果たして私達は、愛する家
族や隣人を敵から守るために、その命を掛けて戦えるであろうか。サウル王によって勝利を得
たイスラエルは、ここに真の意味での王国の設立を見たのである。サムエルはギルガルに民
を集め、その宣言とともに自らが民の指導者(士師)としての地位を退くことも宣言された。この
事からもわかるように、アモン人の侵略の問題に対処しえたのは、サムエルではなくサウルで
あった。神の人サムエルはその生涯の終わるまで祭司であり預言者である。最後まで彼は信
仰の人であり、どこまでも神は彼を通してご自身の意思を表したであろう。しかし実際に起こっ
ている民の問題には十分に対処し得なかったし、することを神に求められていたわけでもなか
ったのである。そのつとめは神がお選びになったサウル王のものであった。その意味でアモン
人はその最終目的ではなかった。真の敵は彼らを苦しめ自らの支配下にイスラエルを置いて
いるペリシテ人であった。その強さはアモン人など比べ物にならない位の強敵である。その証
拠にアモン人を打つためにベゼクに集結したイスラエル人を遠目で見ながら何のちょっかいも
いれないで高みの見物を決め込んだ余裕である。イスラエルの要所に守備隊を置き不穏な動
きがあれば即座に伝令が走り状況把握がなされる。有事となれば先遣隊が召集され先陣を切
ってそれらの鎮圧にあたった。サウル王は、この敵を知れば知るほどどう戦うべきか迷ったこ
とだろう。サムエル記Tの13章2節に「サウルはイスラエルから三千人を選んだ。二千人はサ
ウルとともにミクマスとベテルの山地におり、千人はヨナタンとともにベニヤミンのギブアにい
た。残りの民は、それぞれ自分の天幕に帰した。」と書かれているがそれで十分とは決して思
わなかったであろう。しかし、王になった以上、行動を起こさなければ、せっかく自国のために
戦う気になっている民の戦意を喪失してしまうし、自分に集まった尊敬と敬意はたちまち叱責と
失望に変わってしまう。彼が考え出した作戦は、少数ではあるが勇敢にも自らに付き従って戦
いに出る準備をしている者と共に奇襲を掛け、アモン人とのそれと同じように先手をとることで
あった。民を自分たちの天幕に帰したのは何も起こないかのようにカモフラージュするためで
あった。作戦は成功し彼の息子のヨナタンが敵の守備隊長を倒した。イスラエルとペリシテは
これをきっかけに本格的な戦争状態に入っていった。ペリシテはアモンとは違う。彼らは振り上
げたこぶしを黙って下ろすようなことは決してしない民族だからである。一度、横綱が自分の相
撲を取るためにじっくり見て立ったなら前頭はどうやって戦ったらいいのだろうか。どうかどなた
かサウル王に知恵を貸してあげて下さい。この続きはまた。



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