物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。平安のうちに私は身を横たえ、すぐ 眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。」(詩篇4:7〜8)
有名な説教者スポルジョンは「安眠の福音」という説教の中で言いました。「安眠。それは神
の賜う賜物である。悪しき者は、どんなに分厚い布団に寝ても、どんなに濃い酒を飲んでも安 眠は得られなず、蝶番(ちょうつがい)のように寝返りを打ちつつ朝を迎える。しかし心に平安 ある者は、うすい煎餅布団(せんべいぶとん)でもぐっすり眠る。故に安眠は平安ある者に与え られる神の賜物である。」と。
確かに人間は心配事があると眠れない。よく罪を犯して逃亡していた犯人が、安眠できるの
は留置場の中だと言われます。聖書も「人の心はなおその病を忍ぶべし。されど心の傷める 時は誰かこれに耐えんや。」(箴言18:14)と記しています。
初めに申し上げた詩篇第4篇のダビデの告白によりますと、「平安の中に私は身を横たえ、
すぐに眠りにつきます。主よあなただけが私を安らかに住まわせて下さいます。」と言いまし た。ダビデはこの時、わが子アブシャロムの反逆に会い、わずかな手兵と共に荒野を逃亡中と いう悲劇の中にありました。そして追手の迫る危機の夜、岩蔭に隠れて恐怖の時を過ごさねば なりませんでした。この様な危機の中にあってのダビデの信頼、依り頼む岩は神の中にありま した。
このダビデの平安、安眠こそ、主を避け処とする人の告白です。あなたは追いつめられた
時、自分の力、頑張りで切り抜けようとしますか。猛烈な風の前に樫の木と柳の木とどちらが 生き残れますか。堅い樫の木でなく柔軟な柳の木なのです。私たちは歯を食いしばって頑張ろ うとしますが、限界を越すと、その崩壊は悲惨です。
謙虚に自分の弱さを知り、神の許容される試練を受け入れ、神の御手に委ねる時、神はあ
なたを抱き、包んで下さいます。平安な眠り、安眠の福音は正直に自分を神の御手におまか せする時、神が与えて下さるのです。 |