「同労者」第8号(2000年5月)   信仰随想に進む  目次に戻る  信仰良書に戻る

証 詞

仙台聖泉キリスト教会  石井 行雄


「子よ。心安かれ。汝の罪ゆるされたり。」(マタイ9:2文語訳)


 この聖書のことばは、私が救われたときに頂いた聖言です。私は24歳のときに救われまし
た。
 その時、私はイエス・キリストが自分の罪の身代わりになって下さったことを信じました。私が
犯した罪はいろいろありましたが、どろぼうをしたことが私にとって一番の罪であると思い、そ
れを悔い改めました。
 私は以前一番町に住んでいました。それで近くの藤崎百貨店や本屋さんから万引きをしまし
た。ですから、救いに与った時それらの店に行き、謝罪してきました。
 なぜそのようなことをしてしまったのか、考え直してみますと、私は人間関係がうまくいかず、
他の人とうまくつきあっていけませんでした。それが罪の糸口となりました。それで自分の面白
くない気持ちを、ぶつけて晴らすために万引きに走ってしまったのです。
 私が小さかった頃には、今のダイエー(スーパー青葉通りと東二番町の角にある店)
の向かい側に家があり、両親が商店を営んでいました。そしてその店には、左官屋さんたちが
使うこてなどが置いてありました。その後、一番町に引っ越し、結婚して六丁目(ろくちょうの
め)に住みました。
 両親はクリスチャンでした。小学校前半頃までは、あまり考えず友達を教会に呼んできたりし
ていました。小学校の上級生になった頃から、自分は他の子供たちの家と違うのだということ
が分かってきました。
 それを誇りに思って生きることが出来れば良かったのですが、逆に考えてしまい、自分はな
んでこんな家に生まれて来たのだろうと思いました。
 学校でも何か優れているところでもあれば、"これで行くぞ!"という心の支えがあったでしょう
が、そういったものが一つもありませんでした。それが、また、罪に走る原因になりました。
 その罪のために、痛い目に遭ったこともありましたが、簡単には戻りませんでした。しかしとう
とう救われて、神様が痛い目に遭わせて救いに導いて下さったことを感謝しました。
 救われるに至ったのは、こんないきさつでした。中学校、高校ではクラブ活動のためほとんど
教会には行きませんでした。高校の終わり頃から人生を考えはじめ、教会に行くようになりまし
た。大学に入ってからは、欠かさず教会に行くようになりました。そして以前は他の人がよく見
えたものですが、そうではないことが分かってきました。また私の生まれ育ったキリスト教の素
晴らしさが分かってきました。あんなに嫌ったキリスト教でしたが。
 そしてキリスト教に生きている人々の素晴らしさが分かってきました。そしてその中心は、イエ
ス・キリストの十字架による救い、罪の赦しであることが理解できました。自分が思うようにいか
ないのは自分自身の罪のためであることが分かりました。能力が足りないとか、何かが出来な
いとかということもありましたが、それは本質の問題ではなく、罪が問題でした。
 救われるチャンスは何回もありましたが、その時を逃しました。キリスト教の素晴らしいことは
分かっても、それに入って行くことができませんでした。
 仕事についてから一年後、今のままで生きて行くことはできない、自分は罪を赦されて救わ
れなければいけないと思い、決心しました。それで山本光明先生を訪ね、自分の罪を告白して
救われました。
 教会の中で結婚も与えられ、子どもも与えられました。今は、子どもたちも大きくなりました。
この子どもたちにも神様の救いを受けてもらいたいと思います。そのために、私にすることが
あると思います。神様から力を与えられてそれを果たしたいと思います。
 ひたすらキリストを信じて生きるものであらさせて頂きたいと思っています。

 



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