「同労者」第8号(2000年5月)  ショートコラムねだに進む  目次に戻る  聖書の植物に戻る

聖書講義

昨日のサムエル記(その7)

仙台聖泉キリスト教会 牧師 山本嘉納

 今、すごいスピードで色々な物が便利になってきている。あまりの進歩についていけないので
便利も持ち腐れの感がある。ワープロを買って説明書が4冊も入って来た時には使えるように
なるまでどの位かかるのかと心配になった。しかし、それなりに使っているとだんだん出来るよ
うになるものである。その後、数年でパソコンに乗り換えた理由はなかなかこちらの要求にワ
ープロが対応できなくなったためである。今は、愛用のパソコンに自分でいろいろ手を加えて
楽しんでいる。最近発売になったWindows2000を使ってより快適な環境が出来上がった。いつ
の時代も人は自らの生活環境が整い便利であったり、安全であったり快適であることを望むも
のである。
 初代イスラエル王、サウルがその王政を確立した時も国民はそれを大いに求めていた。しか
し、イスラエルに隣接するペリシテという国はその軍事力でイスラエルを従え多くの税を徴収し
苦しめていた。イスラエル国民は与えられた王と共にペリシテからの完全独立を手に入れるべ
く、作戦行動にでたのであった。前回も書いたように先制攻撃は成功し相手がひるむのを狙っ
て一気に攻めなければならない。しかし、ペリシテは少しも動じなかった。イスラエルにはさした
る武器もない。訓練された兵士もいない。軍隊としての整備された型もない。あるのは威勢の
いい王とその取り巻き位だ。ペリシテは、この時を十二分に利用することを考えていた。それま
でのイスラエルにはまとまりがなく支配するにもいちいち守備隊を派遣して要所を抑えなけれ
ばならなかった。そのための派兵の費用をイスラエルから徴収するのはもちろんだが、それで
は本国への見入りは少なくなってしまう。出来るだけ少ない労でイスラエル全体を支配すること
が望まれていたのである。これに好都合なのがイスラエルの王政である。王とその部下たちを
完全に降伏させ従わせれば、彼ら自身がペリシテへの税を徴収し貢いでくれる。不穏な動き
や、地方の動乱は自らの手を汚さずイスラエル自身を攻め処理させればいいのである。サム
エル記Tの13章5節に「ペリシテ人もイスラエル人と戦うために集まった。戦車三万、騎兵六
千、それに海辺の砂のように多い民であった。彼らは上って来て、ベテ・アベンの東、ミクマス
に陣を敷いた。」と書いてある。すごい数である。無謀この上ない状況が出来上がってしまっ
た。
 私たちの人生も思惑通りに行かないことは多々ある。しかし、これほどまでのことはそうめっ
たにないものである。もう一度やり直せるものならと振り返ってもどこにその分岐点があったか
すら見出せない問題である。大きな時の流れ、時代の推移の中で弱いものは強いものに淘汰
(とうた)されなければならない現実なのであろうか。信仰者としてここまでやってきた私達である
がこれほど大きい問題に対してそれは何の力も持ち合わせないものになってしまっている。
 イスラエルはこの状況の中で神の助けを乞い願った。この分野を担当しているのはサムエル
である。彼は生涯イスラエルのために神のことばを明らかにする神の器であった。彼もまたこ
の戦いがどれほど重要であるかということをよく知っていた。そして自らそのためにサウルのも
とに行き、神への全焼の生贄を捧げ、生きた真の神、主に勝利を願わなくてはならないのであ
る。
 信仰の試練はその人の正体を明らかにするものである。サウルというイスラエルの王の正体
をこの試練は明らかにした。聖書は『サウルは、サムエルが定めた日によって、七日間待った
が、サムエルはギルガルに来なかった。それで民は彼から離れて散って行こうとした。そこで
サウルは、「全焼のいけにえと和解のいけにえを私のところに持って来なさい。」と言った。こう
して彼は全焼のいけにえをささげた。』と書いてある。
 ここで問題になることは、彼は王であって祭司ではないことである。この生きた神に対する作
法は、神ご自身が力ある方でありこの方の聖は到底、罪深い人間を受け入れることができな
いにもかかわらず憐れみと選びの約束によって成り立っている関係を象徴する大切なもので
あった。
 現代の日本の教会が多く力を失ってしまっている元凶はこの辺の所ではないかと思う。確か
にキリストの十字架の贖いは私達人間の罪を取り除き神とのすばらしい愛の関係に入れて下
さる。しかし、それでもなお守らなければならない作法と礼節、畏敬が必要である。そこに神の
愛がいかに尊く聖であられるかを現し、その贖いにどれほどの価値があるかを示すものだから
である。しかし、いつの間にか私達の都合で担ぎ出されたり、どぶに捨てられたりしてしまう神
に果たして世の人々は自らの心の救いを本気でゆだねるであろうか。
 サウル王のほころびは、こんな所から始まった。現実の戦いは、これまた前回のアモン人の
時と同様、ペリシテがどじを踏んだ。ペリシテが陣を敷いたミクマスは平地で大群同士がぶつ
かって戦うにはよい地形であるが少数のサウル軍には断然不利である。彼は先の先制攻撃で
手に入れたゲバに軍を置き山地のゲリラ戦を考えていた。何せ彼と共に戦うために残ったの
は六百人しかいなかったのである。ペリシテの偵察はそのことを本陣に告げた。本陣では各ペ
リシテの都市の王が作戦会議を始めた。問題はイスラエル軍の本陣がどこにあるかであっ
た。圧倒的有利の状況は変わらないし、じわじわと大群で詰め寄ってイスラエルを完全無条件
降伏に追いやりたい。ゲバで陣を整えているサウル軍はおとりで本陣はギルガルの近くあたり
に潜んでいると考えたのである。当然である。普通、三万の戦車と六千の騎兵、それに海辺の
砂のように多い民の軍を敵に回して六百人で戦いを挑んでくる馬鹿がどこにいる。ペリシテ軍
はミクマスにサウル軍のおとり(実は本陣)六百のために少数の軍を残し後の部隊を三つに分
けて索敵しながらありもしないイスラエルの本陣を目指して三方向から進んで行った。
 この期を突いて勇敢なサウルの息子ヨナタンがゲバの時と同じようにミクマスに残っていた軍
に攻め入ったのである。ちょうどそのタイミングで大きな地震が起こり三つに分けていた部隊に
パニックが起こったのである。聖書は「サウルと、彼とともにいた民がみな、集まって戦場に行
くと、そこでは剣をもって同士打ちをしており、非常な大恐慌が起こっていた。」と書かれてい
る。ペリシテの唯一と言っていい弱点を挙げるならば彼らは都市国家を形成していることであ
る。各都市に王がいてその連合軍がペリシテ軍であった。時にそれは大きな誤解や勘違いを
招く。この時、彼らはパニックに陥り有ろうことか同士討ちをしてしまったのである。総崩れした
ペリシテ軍に対して逃げ隠れしていたイスラエル軍も立ち上がり戦場は西、つまりペリシテ側に
移って行ったのである。戦いの詳細はこの位にして、とにかくサウルはまたまた勝ったのであ
る。絶体絶命からの大勝利であるから聖書の読者は普通に神が成して下さった大いなる恵み
と考える。
 確かにその通りだが疑問が残る。サムエルがサウルにこの戦いの前にした叱責の言葉であ
る。『サムエルはサウルに言った。「あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、主が命じ
た命令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。
今は、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の
民の君主に任命しておられる。あなたが、主の命じられたことを守らなかったからだ。」』となっ
ている。それでもサウルを総大将とした戦いは勝利したのである。これではこの時、イスラエル
の人々は思ったことだろう。サムエルもそろそろ老いて焼きが回ったなと。違いますよ。イスラ
エルの総大将はサウル王ではありません。真の神、主ご自身です。



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