「同労者」第9号(2000年6月)   Q&Aルームへ進む  目次に戻る  巻頭言に戻る

論  説

 ― ペンテコステの意義 ―
 6月11日がペンテコステです。今月はその意味合いを考えさせて頂こうと思います。
「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて
くるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響きわたった。また、炎のような分かれた舌が現
れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださる
とおりに、他国のことばで話しだした。」(ヨハネ7:38)


 イエスは、旧約の人なのです。生まれて八日目に割礼を受けられ、モーセの律法に従って生
活されました。弟子たちにも、旧約の規範以上のことは求められませんでした。山上の垂訓が
来たらんとする神の国の憲法として示されていましたが、それはイエスの在世当時の弟子たち
のうちには実現しませんでした。ですから、四福音書の記事が新約の規範を示していると考え
ると誤るのです。
 イエス・キリストは十字架において死なれ、葬られ、復活されました。そして四十日間自分の
復活したことを弟子たちに証明され、天に帰られました。残された弟子たちは集まって十日間
約束の聖霊を求めて祈りました。そして上記のみことばの時がやってきました。
 このペンテコステの瞬間こそ、新約時代が到来した決定的な時であったのです。
 今年はミレニアム(世紀末)といい、来年は21世紀の到来といって、その時代の変化が取り
ざたされていますが、これまでの神の国の歴史では、ペンテコステより大きな変化の時はあり
ませんでした。
 この次の変化の時はご再臨です。
 風の音、目に見える火の舌ようなものと異言、これらの異象は聖霊の働きを象徴的に示すも
のではありますが、ユダヤ人が新しい時代の到来を知ることができるように、神が付け加えて
与えられたものであって、本来必要なものではありませんでした。最後の晩餐でイエスが語ら
れたことは、助け主が与えられるということだけであったことが示しているとおり、約束の助け
主"聖霊"が一人一人のうちに住んでくださること、その魂を満たして下さることこそが、その欠
くことのできない内容でした。
 ペンテコステの日から、山上の垂訓に示された、神の国の憲法が弟子たちに適用されること
になりました。ジョン・ウェスレーはそれを「キリストの律法」と呼び、私たちは「律法なき者」とさ
れたのではなく、キリストの律法を守るべきものとされたと主張しています。
 聖霊は私たちの心を潔めます。聖霊は私たちの内にあって私たちにイエス・キリストを示され
ます。聖霊は私たちを全ての真理に導かれます。
 聖泉連合の創立のみことば「その日、…罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。」は、聖
霊によって私たちの内に実現するのです。



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