「同労者」第56号(2004年6月)         Q&Aルームに進む    目次に戻る

証詞

荒川教会 婦人伝道師  山本 ワカ

(2004年3月27日夜の総会聖会の時、話されたお証詞の原稿を頂いたものです。)


私は今年85才になります。私の生涯に65年間少しも変わらずに私を支えて下さった友人が
おります。
 この友人は長い年月一度も私を離れることなく、私自身よりも私をよく知っていて下さり、又
理解していて下さり、私の人生の素晴らしい指導者でございます。
 主人が他の教会の御用で旅行中、私が急病になり、重体になって遺書を書かなければなら
なかった時も、心配そうに見守る子供達と共に居て下さり私を守って下さいました。経済的にも
無くてはならぬ時には何時も助けて下さいました。長い年月の幸いな出来事の一つ一つは定
められた時間内では到底お話出来ませんが、もしこの友人との出会いがなかったら私は激動
の65年間を迷わずに真っ直ぐに今日を迎えることは出来ませんでした。
 この友人こそイエス・キリスト様です。
 ヨハネの福音書15章15節に、「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しも
べは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父か
ら聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」と記されております。
神であり人間になられたイエス・キリスト様との出会いは、1938年(昭和13年)10月10日の
夜でした。
 その夜、私の家の近くで空き地に天幕を張ってキリスト教の伝道会がありました。電信柱に
案内のビラが貼ってあるのを見て一人で出かけました。佛教の大きな寺町に生まれ育った私
は「どうぞ前に」とすすめられても、「ここでいいです。」と頑固に、いつでも出られる様に入口の
近くに座っていました。
 集会が始まり、一人の男の方が「私は自分の心の中での慾望との葛藤に、佛教に行って修
行したのですが解決できないで教会に導かれて、罪について教えられ、心の中にあった一つ
一つの事柄を告白し、その罪のためにイエス・キリスト様が十字架にかかって下さったことを信
じた時、私の心は絶望から新しい人生に変えられました。修行時代に手の指の間にローソクを
立てたので、手のひらがこんなに小さくなりました。」と両手をひろげて見せました。
 続いての先生のお話は、「酒飲みで人生がどうにもならなくなりながらも、どうしても止められ
ず、何時も通る酒屋の前を通っても入らずに家に帰ろうとかたく心にきめても、店の前にくると
どうしても通り過ぎる事が出来ず、ますます人生に行き詰まりどうにもならなくなった。・・・。」と
いうものでした。お話をきいているうちに私もその人と同じだと思いました。
 私の父は41才で母と6人の子供を残して亡くなりました。亡くなる二、三時間前に年上の3人
の子供を枕元に呼んで、「私はお前達が大きくなるまで育てたかったが、病気のために死なな
ければならない。お前達を助けてくれる親戚はないので、母さんと力を合わせて幼い子供達を
育てていってくれ。」と言い残して亡くなりました。そのとき一番幼い子供は生まれて4ヶ月でし
た。
 私は15才でしたが、幼い子供を残して死ななければならない親の心はどんなに辛いだろうと
思って悲しみの涙も出ませんでした。父の最後の言葉が重く心に残って、残された家族のこと
を考えれば考えるほど、自分の無力さと意志の弱さに、「今日も失敗だった、明日こそ、明日こ
そ、・・」と思いつつも失敗を重ねていたのでした。
 その時、私は「あなたは明日こそ、明日こそ。と思っているが昨日までの失敗の責任はどうす
るのか。」という声がひびきました。過ぎてしまった昨日までの失敗を問われた私は愕然とし
て、その後のお話は分かりませんでした。
 一人の婦人が私のそばに来て「あなたは自分の罪が分かりましたか。」といいましたので、
「はい。分かりました。」といいますと、「その責任をあなたはどうとりますか。」といわれ、「私に
はとれません。」といいますとその方は、「あなたのとれない責任をキリスト様が十字架にかか
ってとって下さったのですが、あなたは信じますか。」と言われましたので、私ははっきり「信じ
ます。」と答えました。「では、悪いと思ったことを、一つ一つ云い表してお祈りしましょう。」とい
われて、私は母に対して言葉には出しませんが、心の中で思った不満と姉弟妹にもう少しがま
んして上げねばならないと後悔したことを告白してお祈りをしていただきました。そしてその場
を立ち上がった時に私の心にそれまで経験したことのない喜びが湧き上がりました。「イエス様
ありがとうございます。イエス様のために私の残る生涯をお献げします。」と堅い決心をしまし
た。

ペテロの手紙第一、2章24節に
「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。」と記されております。

                      
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